異色もん。

ドラえもん、もやしもん、くまもんに続く第四のもん。いつか鎌倉の老人になる日まで。(単なる読書系ブログです)

『罪と罰』 ドストエフスキー

罪と罰〈上〉 (新潮文庫)

罪と罰〈下〉 (新潮文庫)


 たまには文学の古典を読もうのコーナー。
 
 「鋭敏な頭脳をもつ貧しい大学生ラスコーリニコフは、一つの微細な罪悪は百の善行に償われるという理論のもとに、強欲非道な高利貸の老婆を殺害し、その財産を有効に転用しようと企てるが、偶然その場に来合せたその妹まで殺してしまう。この予期しなかった第二の殺人が、ラスコーリニコフの心に重くのしかかり、彼は罪の意識におびえるみじめな自分を発見しなければならなかった。」

 (以下内容に触れています)

 何故かは自分でも分からないけど、上巻でラスコーリニコフが追い詰められて捕まり下巻では殺人に至った思想についてのディスカッションが展開されるのかとずっと思っていた。実際はラスコーリニコフが殺人について苦悩し捕まるまでの話で、完全にミステリと同じつくりだった。ラスコーリニコフ追い詰める予審判事ペトローヴィチが刑事コロンボのモデルになっているという話は以前に聞いたことがあったが、全体も犯人が最初から分かっている倒叙ミステリの形式になっているわけで刑事コロンボ云々はそれも含んでいてのことだったのだなあと今更ながらに知る。さらにはラスコーリニコフ以外にも多層的な人間関係が描かれていくが、全員とは言わないまでも悪人や過去のある人物が多く、一種ノワール的でもある。というわけでミステリへの影響も大きいのではないかなあと感じた。
会話や展開など今から読むと多少もっさりとしたところもあるが、ラスコーリニコフの凶行に及ぶシーンやそれに至る心理、スヴィドリガイロフの自殺などの場面はまさに鬼気迫るものがあってガツンときた。
 
 ラスコーリニコフは始終体調が悪く熱に浮かされたような状態にあるのだが、ネット上に「昔から愛読しているが読むと必ず体調が悪くなる」という話が出ていた。かくいう自分も今回盛大に体調を崩した。まあ偶然だとは思うが、行間から激しい気性の持ち主と思われる作者の情念が立ち上ってくるよう小説であり、再読するとまた体調を崩しそうでちょっとコワい気がしている(笑)