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異色もん。

ドラえもん、もやしもん、くまもんに続く第四のもん

<池澤春菜&堺三保のSFなんでも箱 #9SF大会前夜 ゲスト:牧眞司>に参加してきた

 またまた新宿に行ってSFなんでも箱に参加してきたよ!ただ題名とは異なり、池澤春菜さんのスケジュールの調整が合わず、声優仙台エリさんが代わりにアシスタント役。
 当ブログ主にとって牧眞司さんは旧知の方であるのだが、当方はふらふらと一時期(高校生時代)SFファンのコアな方々の間に入れていただいただけで継続して活動していた訳ではなく、まあ近年はブログをやったり読書イベントに参加したりして少しは知識が増えたものの牧さんの全貌はまだまだ見えていない。途中堺三保さんが指摘されていたが、牧さんはジャンル史ノンフィクション翻訳『SF雑誌の歴史 (キイ・ライブラリー)』、世界文学紹介の『世界文学ワンダーランド』、個人作家のアンソロジー編集『ルーティーン: 篠田節子SF短篇ベスト (ハヤカワ文庫JA)』、SF評論の編集『柴野拓美SF評論集 (理性と自走性――黎明より) (キイ・ライブラリー)』と著作の性質が多岐に渡っている。特に世界文学とSFを等しい視点から語れる書き手は必ずしも多くなく、また最近はアニメ『けいおん!』を高く評価されており、その幅広い視野はどこから来るのかという点から始まった。(ちなみに以下はアニメに不案内で特に『けいおん!』を全く観たことがないブログ主のまとめなのでその辺りは断片的になるのを御理解下さい。あと時系列も一部代えているところもあります。また◎印はブログ主の感想)
 牧さんはまず「世界がどうなっているかを知りたかった」ということで、様々な作品を等価に感じておられるとのこと。例えばカート・ヴォネガットは第二次大戦で従軍した時捕虜としてドレスデンで同盟軍の爆撃を受け(破壊と死を目の当たりにし)、世界の無意味さを実感する。そして世界に意味を求める物語を否定、一方「嘘と分かる物語は世界を救いうるのではないか」と考え創作する。そういう点で「文学もSFも世界のリアリティをどう表現するか」ということで等しい、と。例えば一般的な物語では、「主人公たちが何らかの目標があるがそこに問題・コンフリクトが生じ、それを乗り越えて成功を得る」というような構造がしばしばとられる。しかし『けいおん!』にはそういうコンフリクトがない世界、「日常がはずんでいて物語が無くても成立する世界が描かれていて」そこが凄い、と。
 さて牧さんご自身は評論を書いているという意識は薄いとのことで、また「評論そのものは作品を迂回して書くしかないもので、偉いものではない。」と考え、「極力難しい言葉を使わず、当たり前のことを平明に書くよう心がけている」とのこと(◎これは牧さんの文章に常に感じられる)。それから「作品を語ることは自分を語ることであり、人と人の思考はつながっているから他人を語ることにもなる。ひいては世界を語ることにもなる」と。あと「(事前に尺度を持っているのではなく)作品の面白さを図る尺度をその時々でつくりたい」とも。
 上記のように世界文学とSFを共に語る書評家は必ずしも多くない印象で、堺さんも牧さんがどのようにその辺りを考えているのか疑問に思われていたようだが、牧さんは「SFも世界文学も世界のリアリティをどう表現するかという点で共通するのではないか。」、そして「(ジャンルというより)それぞれの作家にそれぞれの世界観いわば手触りがある」と。初めはハードSFやスペースオペラを読んでいた牧さんだがそうしたものに飽きてしまい、J・G・バラードや文学系の「難しいことを書いているから偉いのではなく、自分が知りたいことを書いている」と感じる作家たちに惹かれるようになったとのこと。
 さて牧さんは中学生の頃からSFファンの集まりに参加したというかなり早熟な方なのだが、なんと「小学生の時にもうハードSFに飽きてしまった」とのこと!(◎ハードSFというのは最先端の科学理論を使って非日常的な驚異の世界を論理的に組み立てるタイプのSFで、作家は科学者や科学知識が豊富な人がほとんど。論理のアクロバットなどに醍醐味があるが、世界の構造自体はシンプルであることが多くその辺りのお話をされていたのだろう。しかし小学生て(笑)そんな牧さんに影響を与えたのが川又千秋夢の言葉・言葉の夢 (1981年)』で、これはSFのみならず文学・ロック・漫画・アイドルを等価に語るエッセイで、幅広いジャンルを等しく語る牧さんに相通ずるものがある(◎Wikiによると『夢の言葉・言葉の夢』は1973~75年にSFマガジンに連載されていた。刊行されたのは1981年。影響を受けた人は多く、1967年生まれのブログ主がSFを読み始めたのは1980年以降だが、その空気感はよく分かる)。
 さて中休み。例によってガチ電話で次のゲスト候補を呼び出す。で、最近は評論系・翻訳系の人が続いたとのことで作家の長谷敏司さんが次のゲストに。
 後半。仙台エリさんの知っている作家ということでカフカの話題が取り上げられる。牧さんは「不条理とかユダヤ人の問題を扱っているということがいわれるが、むしろシンプルに世界を語っていると思う」「我々は問題やコンフリクトあるいはトラウマを克服し幸福に至るといったタイプの物語に毒されているのではないか。常識や規範にとらわれ過ぎているのではないか」と。カフカについて『掟の門前で』という話があって、とある男が門番に入れてくれと頼むが結局死ぬ直前まで入れてもらえない上に「この門はお前のためにあった」と言われるという話。これは「『(我々が)世界の謎を知りたい、しかしそれを知ることは無い』ということを示しているのではないか」と。
 コンフリクトを克服する物語=ロマンに対し、アンチ・ロマン(ヌーヴォー・ロマン)も登場したが、それらも物語=ロマンに縛られているところもある。そういった中でロマンを越える試みを手法化しきれない形で表現しているロブ=グリエが面白い(◎ヌーヴォー・ロマンについては全然詳しくないのでとんちんかんになっていたらすみません)。書かれているものの前提を疑うということから、ある実在の場所が描かれていてもあくまでもそれは小説内の虚構化された場所であり、また登場する人間も虚構化された存在でいずれも現実のものとは異なるという話題も出ていた。
 仙台エリさんから「飛んでいる蚊をパチッとした時に取れなくてどこかへ行ってしまっている時に、あれは四次元に行ったのかな?と思う時がある(笑)」というネタふりがあって牧さん「元々蚊なんかいないのかもしれない。蚊という社会現象なのかもしれない」という話題があって、UFOの様だとか、昔トンデモ系の方が蚊柱の様に集まっているUFOの話をしていて笑った話などが出た。(◎ここら辺はSFファンのツボで爆笑した。蚊柱の様なUFOは是非見たい)
 牧さんはまた書評を書くときに三人想定している読者がいるとのことでその三人とは「10代の自分、10年後の自分、坂口安吾」とのこと。「読書意欲に満ち満ちていた10代の自分が手に取りたくなるように、10年後の自分が読んだ記憶を甦らせられるように、また(書評について厳しい意見を持っていた)安吾に馬鹿にされないように」ということだそうだ。
 再読の楽しさについても牧さん堺さんから。堺さん「例えばミステリのような小説は犯人が分かってから読み直すと様々な仕掛けが分かり、そこが再読の面白さ」。牧さん「作品は立体モビールの様なもので、細部の再読であっても共振することによって面白さが増す」、また「読書経験が増し色々な小説を読んでから再読して発見があることもある。再読による共振は他の作品とも起こり、作品が励起する」とも。堺さん「年齢によって自分の内面が変化して、作品が楽しめるようにもなる。昔は恋愛小説は苦手でくっついたり離れたりこんなことあるのかなあと思っていたが、色んな人の出来事を見たりするとなるほどなあと思ったりもする(笑)」(◎実はあんまり再読していない方なのでちょっと考えなおしてみる)
 ディックの話も出ていた。実はディック作品の解説を一番書いているのは牧さんらしく「ディックの人気作品は早々に紹介されその時はもっと上の世代の人が解説を書いていたが、その後マイナー作品が紹介されるようになり、それからディックの解説を多く担当するようになった(笑)」「しかしある意味ディックの傑作はたまたま生まれてしまったようなところもあり(笑)。そうしたマイナー作品にもディックらしさは現れていて、むしろそっちが面白かったりする」。堺さんが「しかし同じ作家やシリーズの解説を担当し続けるとキツい面もある。スタートレックのノヴェライゼーションをずっと担当していたが最後は書くことが無くなり苦労した(笑)」とお話されると牧さんは「いやいやまだまだディックについて架けるよ!」と力強い返答(笑)。
 その他現実の舞台を扱ったアニメの場面転換などの虚構化についての小説との違いの話だとかアニメの聖地巡礼の話も出た。印象的だったのはけいおん!の表現では登場人物たちが生きていると感じさせる質感が音だとか含め表現されているとの牧さんの評価。(◎この辺は全くの門外漢なので分かりませんでした。蛇足ですが聖地巡礼的な喜びは鎌倉在住の当ブログ主は漫画『海街diary』に感じます)
 最後に告知で本の雑誌社から<サンリオSF文庫総解説>が刊行されるとのこと!書き手は若い世代含んで幅広い人選になっているもよう。いやーこれは楽しみ。あとほとんどお約束になっているもう原稿はとっくに送ったという『SF雑誌の歴史2』の話(苦笑)。また『けいおん!』で一本書けるよ!とも。

 終了後の懇親会も楽しかった…つーか今やこちらも古株のSFファンだけどずっと遠巻きにSFファンの集いに参加してきたので牧さんともこうした懇親会の様な席で御一緒するのが初めてで、ついつい舞い上がってしまい変なテンションで妙な話をしてしまいました…。初対面の方がほとんどだったのに(恥)。あー皆さん忘れて下さい(冷汗)。

 それにしても驚いたのはCafe Live Wireのマスター、近い世代で「SFイズム」に出入りしていたそうな!当ブログ主は「SFの本」の人なので、あれから30年にして「イズム」と「の本」が邂逅することになったのだ!いやーびっくりした。
(当時を知らない人にはあまりにも訳が分からないと思うので少しだけ解説。1980年代初頭から中盤くらいにSF雑誌のブームがあり、同人誌的なものなんだけど一般書店の一部にも並ぶ商業誌も登場してそれが「SFの本」と「SFイズム」であった。ちなみに「SFの本」は半商業誌と名乗っていた。そうした共通する立ち位置ながら、硬めの評論誌であった「SFの本」とポップな衣装でSFと遊ぶ「SFイズム」は対照的な存在と認識されていた。今読み直すと「SFの本」も80年代サブカル的な要素は結構多いんだけどね)