異色もん。

ドラえもん、もやしもん、くまもんに続く第四のもん。いつか鎌倉の老人になる日まで。(単なる読書系ブログです)

映画『ハンナ・アーレント』『グレアム・チャップマン自伝』

 久しぶりに映画を観る時間が出来たのと、個性的な映画が2本やっていたので迷った挙句頑張って両方観てきた。
 『ハンナ・アーレント』 
  ナチス戦犯アイヒマンの裁判について記録をし、「悪の凡庸さ」について考察した哲学者の伝記映画だけに予想通り甘いところのない非常に真面目な作品だった。自らが収容所経験がありながらも、戦争犯罪の責任を明確にしたい強い時代の要請による裁判の中、アイヒマンの平凡さを指摘し当時のユダヤ人指導者の責任に言及することはおそらくいまだに当事者たちの中に感情的な反応を引き起こすことだろうし、ましてや当時は相当な非難を受けたことが想像される(いやしかし実はよく考えたら当たり前のことながら、映画を観る前には十分には理解できていなかったな)。しかし妥協を許さない彼女は、ごく普通の人々に信じ難い愚行が成されてしまったことについて根源的に問い続けて出した結論を撤回することは無かった。そのためともすると人間味の無い冷たい人間と受け取られている点があるのかもしれず、そういった人物像を変えるべく一個人としての苦悩が本作では描かれており、全体として戦争犯罪の行われる過程や責任という重いテーマと人間ドラマ部分のバランスがよく取れていて、素晴らしい作品だった。(以下ややネタばれ ラスト前のシーンが非常に印象深い。アイヒマン裁判の傍聴に賛同していたハイデッカー門下生時代からの友人ハンス・ヨナスがハンナの論考に納得できず最後に二人が決裂するシーンがある。その時ハンスは「(多くの人が亡くなっているのに)君は哲学問題にすり替えてしまう。ドイツ人と同じではないか」という。実際のハンスがどう考えていたのか不勉強にも知らないが、ハイデッカーに師事し一時はその愛人でもあったハンナの思考過程にドイツ的なものを感じ受け入れがたいものを感じた人々もいたのかもしれない、と思った) いや実はこの人の『人間の条件』難しくて中断してるんだよな。何とか読み直さなきゃ(汗)。あと余談だがこの映画、本の雑誌12月号で青山南氏がハンナの(ややゴシップ好きな)親友として出てくるメアリー・マッカーシーと絡めて紹介されていたので観たくなったんだよな。実在の人物たちでドラマパートもさらりと上手く性格がそれぞれ表現されているので、今後メアリー・マッカーシーの作品や他の人物にも注目していきたいな。

モンティ・パイソン ある嘘つきの物語 グレアム・チャップマン自伝
 こちらは打って変わって、現代のポップ文化に多大なる影響を及ぼした伝説的コメディチームであるモンティ・パイソンのメンバーで48歳の若さで他界したグレアム・チャップマンの自伝映画。1989年に亡くなった人物の自伝映画が今頃なぜ?と思うが、実は1980年に出た自伝の朗読を残していたらしい。それに様々なアニメーターがアニメーションをつけて昨年完成したのがこの映画。ケンブリッジ大で医学を学んだという硬い経歴の一方でゲイであることを早くからカミングアウトしアルコール依存症と破天荒な私生活で精神的に不安定な時期を送った波乱の人生が独特なキツイユーモアを交えて表現されていく。冒頭「どこまでホントかわからないよー」と予防線が張られるものの、後半になるにつれ本人視点の幻覚のシーンが増し、想像以上にへヴィな映画であった。当然戯画化されているもののえげつない自傷のシーンもあり、あれはおそらく本人にとってのある種の現実なのだろうなあ。それでも自らを題材にして、ままならぬ人生というものを切り取っていくコメディアンの矜持がひしひしと感じられる凄味のある映画であった。キツイ表現が多いので観客を選ぶ作品だが観ることが出来て良かった。キース・ムーンの下りも面白かったな。ちなみにyah××の感想で気づいたのだがエリック・アイドルは出ていないんだよね・・・。その辺もままならぬものの現れなんでしょうかねえ。