異色もん。

ドラえもん、もやしもん、くまもんに続く第四のもん。いつか鎌倉の老人になる日まで。(単なる読書系ブログです)

2018年10月に読んだ本

『記憶よ、語れ』ウラジミール・ナボコフ
 ナボコフの自伝。激しく社会変動し戦争の世紀でもあった20世紀、個人としても貴族の家系で祖国を追われるなど歴史の波にのまれてきた傑出した作家がなにを見つめたか。そうした様々な歴史的な出来事との関わり、ある意味当然ながら多くの著名な人物が端々に登場し驚きの連続といった内容だ。しかしさすがはナボコフ 、美しく甘美な文章の中にメタフィクショナルな仕掛けが潜んでいる。
『IQ』ジョー・イデ
 LAサンスセントラル出身に日系アメリカ人による黒人版シャーロック・ホームズもの、という様々な文化が入り混じった(同地作家らしい)作品。大型犬が登場するのはニヤリとさせられるが、実際LAで違法ながらヤミ闘犬が行われているらしい。全体にエモーショナルな感じが良かった。本作がデビューらしい作者は1958年と意外にかなりのおっさん(失礼)、苦労人っぽいキャリアも応援したくなる。
『竜のグリオールに絵を描いた男』ルーシャス・シェパード
 評判通り面白かったがかなりヘヴィだ。ここに登場する竜は直接人間に対峙したり直接襲撃したりといった存在ではなく、不明確で理解不能な影響を及ぼし人間たちを混乱に陥れる存在だ。各作品の主人公たちは苦悩を抱え歪んだ関係から生ずる物語は重く引きずるような読後感が後を引く。
『レッド・マーズ』(上・下)キム・スタンリー・ロビンスン
 火星三部作、読み始めた。2026年火星移民ロケットが「最初の百人」を乗せて旅立つ。優秀かつ我の強いメンバーによる主導権争いは任務遂行で選抜されたメンバーだからこそ安易に暴力的に走らずむしろ精神的かつ永続的になる分なかなかエグ味が感じられるが、従来注目されてきた物理化学的なハードサイエンスのみ社会科学的なソフトサイエンスまでシミュレーションを行った結果のストーリーといえ、しっかりとアップデートしていこうとする著者の視点のたしかさが感じられ好感が持てる。
『反ヘイト・反新自由主義の批評精神』岡和田晃
 現在の差別的な言論の根底にある問題が多くの資料により様々な角度から分析され大変示唆に富む内容だった。リアルタイムの出来事についての注釈によるアップデートもされ、より問題が明確にされていた。

2018年10月に観た映画、イベント、美術展

カメラを止めるな!」(2017年)
 これは正確には9月末に観た。判通りで非常に面白かった。芯となるアイディアの素晴らしさもさることながら、ディテールや俳優の個性など肉付けがしっかりしていてそのアイディアをより効果的にしているところが勝因。
エッセネ派」(1972年)
 アテネ・フランセ文化センターでフレデリック・ワイズマンの特集をやっている。ドキュメンタリー映画作家として名高く、個人的には殊能将之氏のHPで高い評価をしていたことが印象深くいつかは観たいと思っていた。が、結局今のところこの1本しか日程的に無理だった。そもそもこのエッセネ派がちょっと検索しても意外とどういった宗派か難しくて2009年カナザワ映画祭での照会には「死海文書を作成したとされるキリスト教以前の古代ユダヤから存在した禁欲的な集団」と書かれていてまあこのあたりだろうか。描かれるのは敬虔な集団の修道院の日常であるため、常に宗教的なディスカッションが行われるなかなか地味な内容である。ただ問題のある人物による厄介な人間模様などあまりに生々しく身近で苦笑させられる。もう1本ぐらいは観たいが、なにせ公開時期が短いので日程が合うか微妙・・・。

楽しいSFイベントを継続して開いているLive Wire。とはいえ1年半ぶりかな(前回はたぶんこれ)。10/13に最新海外SF情報のイベントがあったので参加。印象的だった話を羅列。
ヒューゴー賞ボイコットを行った、保守的な(というより人種差別的女性差別的な)価値観のSFファングループSad Puppiesらの周囲をめぐる状況。コミックなど他のジャンルでも似たような傾向の動きあり。SF関連では表向きは沈静化しているもののくすぶり続けているっぽい。
・ファンタジーとSFの境界は日本よりボーダーレス。
・日本の海外SF受容においてハードサイエンスへの偏りがあり、社会科学的なものの紹介が十分されていないのではないか。
・ミリタリーSFならぬミリタリーファンタジーも沢山ある。(知らなんだ)
・最近のSF作家にみるジャック・ヴァンスの影響の大きさ。異世界構築のツールとしてのSF。(ヴァンス好きなのでうれしい)
・紹介された作家など。Yoon Ha Lee、Martha Wells、N.K.Jemisinなど。アニメ好きの作家が多いのではないかとかJonathan Strahanのpodcastの話など。(N.K.Jemisinのヒューゴー3連覇,Broken Earth seriesの翻訳は楽しみ)。

10/27には2つの美術展。
マルセル・デュシャンと日本美術」@東京国立博物館
 先に書いておくと日本美術の展示はさほど多くないです(笑)。とはいえ内容は面白いです。どちらかというと前衛芸術運動のイメージが強いが、実はキュビズムをスタートとしていて例えば藤田嗣治とほぼ同世代(パリとニューヨークを活動拠点にした点でも共通するが、どうやら時期的にはすれ違いの関係だった様子。フランス生まれながらアメリカンを活動拠点にしたデュシャンと日本生まれながらフランスに帰化した藤田はスタイルの違いこそあれともに放浪のイメージをまつろう)。言語へのこだわりとチェスというの重要な要素であることが印象深かった。というと当然ナボコフで、この本若島正氏が評しているところもつながりを感じさせる。文学サイドでのデュシャンの分析も重要になってくるのかもしれない。
寺山修司展 ひとりぼっちのあなたに」@県立神奈川近代文学館
 昭和生まれの世代ながらなかなか手をつけられなかった寺山修司だが、山野浩一への影響の大きさということでだんだん興味がわくようになってきた。とにかく圧倒されたのは幅広い分野と膨大な仕事量だ。早世である上に若いころに長期の入院期間もある中でだから驚異的。特に非日常的なもの・日の当たらないものへの好奇心や憧憬は多方面への深い影響を与えただろうと思われる。その影響はあまりに広く及ぶため、その全貌が明かされるのはまだまだこれからだろう。

TVで観た映画も追記しておくか。
「クライム・アンド・ダイヤモンド」(Who Is Cletis Tout?)(2002年)
 序盤、毒舌ジム(Critical Jim)と名乗る男が椅子に縛りつけられている男に映画の蘊蓄を挟み込みながら尋問をしているという妙なシチュエーションから始まり、だんだん背景が明かされていくという仕掛けのミステリーで、(細部までは追えなかったが)映画マニアネタをアクセントに伏線がうまくはまっている洒脱な作品でなかなかの傑作。
「無宿」(やどなし)(1974年)
 フランス映画の「冒険者たち」(未見)をもとにした前科者のロードムーヴィー。高倉健勝新太郎梶芽衣子と豪華な顔ぶれだが、話も映像も特にこれといったものはなく残念ながら顔見世だけで終わっている、まあよくあるタイプの残念作。安藤昇も出ている。

2018年9月に読んだ本

あんまり読めていないのは相変わらず。

『文字渦』円城塔
シミルボンに投稿しました。
shimirubon.jp

『リズムがみえる』トヨミ・アイガス/ミシェル・ウッド(日本語版監修ピーター・バラカン
シミルボンに投稿しました。
shimirubon.jp
(サウザンブックスによるクラウドファンディングで出た本。ささやかながら支援をさせていただいた)

10月はたそがれの国レイ・ブラッドベリ
実は初読。カーニバルとか抒情性とかのイメージで語られるブラッドベリだが、アイディアや題材など結構ヴァラエティに富んでいて非常に技巧的な側面も感じられる作品集だった。やっぱり甘目に感じてしまう作風だが。
『疫病と世界史』ウィリアム・H・マクニール
ちびちびと読み進んでようやく読了。人類史における疫病の影響をとらえた貴重な著作。生物的な特徴と人類の生活様式を背景として起こる疫病は大量死による死生観といった側面だけではなく、差別や人口動態の変化を通じての言語といった側面まで文化的に大きく影響をしたというのが非常に興味深い。惜しむらくは進歩の速い生物学分野を扱っているものとしては1976年と古い著作で、アップデートされたものを読んでみたいという気がする。ただこうした横断的な内容をまとめるのは相当幅広いパースペクティヴが必要で、著者が亡くなっているのでなかなか代わる人材の確保は難しいだろう。
『国のない男』カート・ヴォネガット
遺作にあたるエッセイ集。
厭世的で辛辣でありながら人懐っこいユーモアを持つヴォネガットらしい警句が並び、名文家だなあとあらためて感じる。直接的に社会風刺をすることは、どうしても時代状況に縛られる面があり、その評価は時代とともに変化していくことはある程度予想されるものの、あくまでも市井の立場に貫かれているため今後も大いなる共感をもって敬愛されることだろう。
世界樹の影の都』N・K・ジェミシン
登場人物たちのリアルな生活ぶりなど現代的でユニークな切り口のファンタジーシリーズ(続編の邦訳はストップしてしまっているが)。ただなかなか設定が複雑に感じられ(ファンタジー慣れしていないせいかもしれない)、著者あとがきによるアートの要素などの面白い面をうまく把握できていないところがありいつか読み直したいところだ。

2018年9月に行ったイベント、美術展、コンサート、映画など

まだ9月少し日にちが残ってるけど。
9月8日<「アルジャーノンに花束を」の翻訳者が語る その半生と翻訳の魅力>というイベントに参加してきた。
www.asahiculture.jp
名翻訳家である小尾先生の半生が語られるということで、期待通り大変素晴らしい内容だった。経済学部出身ながらミステリ作家志望でもあったお父様の影響で小さいころから大の本好きでらしたという。戦時中には本に飢え、結核療養中は本を許されなかったのが何よりつらかったというお話のように、とにかく本の虫だったようだ。実は英語よりも国語が得意であったが、ひょんなことから英文科へ。周囲のレベルの高さに戸惑いながら、勉強の合間に映画や芝居を沢山観た大学時代。将来の道として翻訳をやりたかったが就職口がなく、結局新聞求人でひまわり社に就職し雑誌「それいゆ」の編集仕事をする間に出会ったのが福島正実で、これが小尾先生の運命を変える。大のミステリファンでSFに興味はなかったもののいつかミステリの翻訳ができると思い、穴埋めのあまり面白くないSF短編を訳すなどしていた。その後編集業務が厳しく体調を崩されそちらの方は退職。それが翻訳専任となるきっかけだそうだ。当時はなかなか珍しいアメリカ行きの機会を得て、念願のアシモフインタビューを行うことになったものの、法的には問題がなかったが(敗戦国には特殊なルールがあったらしい)版権を得てなかったので翻訳者であることを隠さなくてはならず不本意なものになったという話(その後出版されたアシモフの日記ではその日のことについて「自分は有名になった。今日は日本から妙な女がきた」と書かれていてがっかりしたとのこと)、「アルジャーノンに花束を」を訳すときには悩み新しい漢字を作ろうかと思ったことなどは特に可笑しかった(「新しい漢字」のアイディアについては小尾先生ご自身「実際に技術的に無理だったし、そもそも愚かなアイディアだった」と発言されていたが、『文字渦』風アルジャーノン、それはそれで読みたかったぞ!(笑)。「アルジャーノンに花束を」を読んだときには「SFにもこんな面白いものがあるんですね!」とおっしゃったというのも可笑しい。日本SF第一世代の作家たちとも交流があったという小尾先生は、キイスだけではなくディックやル=グインなどの翻訳で日本のSF分野の草分けのお一人として知られるが、今となっては元々はさほど興味がなかったというのも逆に様々な出会いや運命を感じさせるもので非常に面白い。その他長年疑問に思っていた訳語libraryの意味(図書館、という意味だけではなく装飾品も売っているような貸本屋も意味もあったらしい)、昔の小説の時代背景によって訳す言葉に注意を要する(例えば家庭教師は「高慢や偏見」の時代では家庭教師は召使と同様の立場)など翻訳の奥深さを知るお話もあった。まだまだお元気で次のお仕事への意欲もあり、期待して待ちたい。
実は小尾先生とは旧知の間柄であり、これも本当に偶然で仕事の同僚が私がSF好きであることを覚えてくれていて30年ほど前に紹介してくれたのだ。お会いしたのはそれこそ四半世紀ぶりくらい。年賀状はいただいていたものの、(ご本人とは全く関係のない)当時の旧職を覚えてくださっていた。記憶力のすごさに驚かされた。もちろんサインもいただいた。

さて9月15日にはSFファン交流会に参加。海外文学特集ということで、作西崎憲さん、牧眞司さん、冬木糸一さんのお話。それぞれのSF観・文学観が伺えて、示唆に富んだ内容だった。(具体的な内容についてはいつかふれるかもしれない)

9月24日にはあちこち回った(笑)。
まず上野で東京都美術館藤田嗣治展。藤田は西洋的なものと東洋的なものが融合した画風が好きなのだが、日本という国や人々に毀誉褒貶、翻弄された人物としても興味深く感じられる。藤田の歩みは日本の病的な一面を逆転写させるように思われてならないのだ。第二次大戦後に描かれた「カフェ」は翻弄されて疲弊した諦念が感じられるかのようで特に素晴らしかった。
最終日だった上野の森美術館の「世界を変えた書物展」は内容はよかったもののさすがに人が多く、時間の余裕もなかったことからざっと眺めた程度で消化不良に終わってしまった(まあしかしこの日しか行けなかったんだよな)。
その後丸屋九兵衛さんのSoul Food Assassinnsに参加。多様な英語の話は毎度目からウロコなのだが、今回はアラビア語は現在多様化してアラブ圏同士でも話が通じなくなっているために、正則アラビア語という共通語(フスハー)はそのために復活された古語(文語)だという話に驚かされた(勝海舟西郷隆盛も音声言語が通じないため筆談だったという)。
本来はその後のQ-B continuedに参加するのがいつものコースだが、この日はCKBデビュー20周年記念コンサートの行われる新横浜へ。数年ぶりのCKBライヴだったが、今回はデビュー20周年記念で渚ようこm-flo&野宮真貴と豪華ゲスト(コハ・ラ・スマートも久しぶりなのかも?)、オーケストラの演奏まであるという実にお祭り感あふれる楽しいステージだった。ベイスターズファンには途中お遊びで「巨人の星」が歌われた時に剣さんから飛雄馬への言及があったところがハイライトだろう(一緒に食事をしたことがあるらしい)。まあ小野瀬雅生ショウの時に「筒香!」というのもあったが(笑)。
実は他にも表の顔の宴席やら秘密の宴席があって・・・。
ちょっと9月は遊びすぎたな。10月は少しペースを落として体調を整えて次に備えよう。<全く反省していない

※2018年9/30追記 その9/24のCKBライヴで剣さんとのデュエットで観客を大いに沸かせたばかりの渚ようこさんが急死されたとのこと。ラストステージだったのだろうか。わずか数日後の訃報でショックだが、昭和にワープされたのかもしれない。ご冥福をお祈りいたします。



放克犬(さあのうず)@boppggun2012

※TVで観た映画も追記
ジェシー・ジェームズの暗殺」(2007年) 録画視聴。西部開拓時代の伝説的な無法者ジェシー・ジェームズと裏切って暗殺したロバート・フォードの話。やや義賊的な要素があったとはいえ、ジェシー・ジェームズが今もなお知名度が残る割に裏切り者は嫌われ無視され続けるという伝説形成の流れが興味深かった。

2018年8月に観た映画

「ヤンキー・ドゥードゥル・ダンディ(Yankee Doodle Dandy)(1942年)(録画視聴)
 大学生時代にシネフィルであった講師が絶賛していたが観るのは初めて。ど直球国威高揚映画で見事なまでに<正しい>人々ばかり出てくる映画で、さすがに今ではpolitically incorrectだったり馴染めない描写がところどころにあるものの、作品としては隙のない完成度を誇っている。
クリムゾン・ピーク」(2015年)(録画視聴)
 実はまだまだあまり観ていないデル・トロ監督作品(なかなか時間が取れなくてねい)。ストーリーはシンプル、幽霊屋敷もののバリエーションでシャイニングを連想させる箇所と、掘削機やグラモフォン蓄音機などの登場にはスチーム・パンクっぽい味つけが感じられ、全体的には現代ゴシックリバイバルといった印象。B級っぽさ含め面白かった。