異色もん。

ドラえもん、もやしもん、くまもんに続く第四のもん。いつか鎌倉の老人になる日まで。(単なる読書系ブログです)

2018年7月に読んだ本、読書会

7月はなんだか読了本が少ないな・・・。
まずは参加した読書会の話でも(笑)。
第15回怪奇幻想読書会に参加。
第1部は課題図書フィニイ『ゲイルスバーグの春を愛す』。フィニイは数年前に初めて読んだくらいで、ここのところ入手困難な状態の本が多く同書と『レベル3』とアンソロジーに入っている短編のみであまり詳しくない。ただ読み直すとオーソドックスで派手とはいえないモチーフを扱う一方で世代的には割と後の世代(なので保守的とされやすい)であることもありテクニック的にかなり洗練されているなあと思った。たとえば語り手の設定など。また小道具の使い方が非常に上手い作家だなと思った。「独房ファンタジア」甘いけど「愛の手紙」は傑作だと思う。「大胆不敵な気球乗り」も結構評判が良かった。またまた本をいただいてしまった(いただくだけでなく読まないとなー)。
第2部は自分だけのベスト10.
リンク先にあるが皆さんのチョイスが面白かった。もうちょっとそれぞれの方の解説を聞いてみたかったなー。
いろいろ予定が重なるなどあり残念ながら8月は不参加。
さて読了本。
魔法使いの弟子ロード・ダンセイニ
 ブログ主かれこれイイ年になっているわけだが、ようやく慣れてきた正統派ファンタジーもの。影や闇の恐ろしいイメージ、魔法技術の伝承(徒弟制度)、真の言葉が持つ力などあたりが重要なポイントのような気がしている。本作に関してはスペインが舞台なのも印象的(騎士道物語の系譜と関係があるのだろうかと考えたり)。
『黄色い雨』フリオ・リャマサーレス
 3編からなる。「黄色い雨」絶対的な孤独の中に置かれた人間の見る世界が幻想風味を加え描かれる。印象深い作品。
「遮断機のない踏切」怪奇小説ではないもののニューロティックな鉄道小説としてグラビンスキを思わせるものがある。
「不滅の小説」宗教的な味のあるメタ小説。
『天界の眼: 切れ者キューゲルの冒険』ジャック・ヴァンスシミルボンに投稿
『絶望』ナボコフ
 久しぶりにナボコフ。犯罪告白小説の形から、意外な方向へと流れていく。親切な解説で作者の狙いがよく分かるが、初期の作品なので全体にナボコフ の特徴が割とはっきり出ている印象もあり、そこも興味深い。以前にも書いた気がするが古典新訳文庫は解説が丁寧でありがたい。

2018年7月に観た映画

まだ7月終わってないけどね(笑)
「宇宙からの脱出(原題:Marooned)」(1969)(TV視聴)
 随分前に録画したもの。事故で宇宙船に取り残されたクルーたちの帰還を描くリアリスティックな宇宙もので「ゼロ・グラビティ(Gravity)」の先行作品といえる。こちら技術系に明るくないのだが当時の設備が丁寧に表現されている感じで、見応えがあった。さすがに50年近く前の作品なので古めかしい人物配置のストーリーではあるが。本作では生き残りの条件などをめぐり3人のクルー間の感情の動きが重要な要素となるのが「ゼロ・グラビティ」との違いで、ちょっと冷たい方程式めいたドラマが展開される。実際の宇宙からの危機一髪の帰還というとアポロ13の事故が思い浮かぶのだが、なんとこの映画の方が少し先で予見したことになったのもなかなかすごい。関係ないが、クルーの一人の妻Celiaを演じていたのはLee Grant、刑事コロンボ「死者の身代金」の人だった。

「ソイレント・グリーン」(1973)(TV視聴)
 超有名作品だが録画して初めて観た。実はブレードランナーが結構参考にしているのではないかと思った。基本ミステリ(ハードボイルド)っぽい筋立てで、警察の上司の部屋とかアングルそっくりだし、過密都市で狭い住宅に荒廃した地上の描写、最後のアクションシーンの一部、刺客の人の顔つきもRutger Hauerっぽく見えてくる(笑)。まあそもそもディストピアものというフォーマットが同じで似てくるのは当然かもしれず、詳しい方の意見を聞かないとわからないが。お金持ちのところにある最新のTVゲームがでっかいのに画面が超初期のレベルだったり調査の資料が紙ベースだったりするのは否が応もなく時代を感じさせるが、シンプルで完成度も高く名作とされるのも納得。

「女と男の観覧車(原題:Wonder Wheel)」(2017)(劇場)
 いろいろとよろしくない話題となっているWoody Allen監督ではあるが。最近Coney Islandになんとなく興味があつて、舞台になっていると聞いたので観てみた。作品そのものは良かった。こちらの期待通りほとんどConey Island周辺で進行する。落ち目の観光地という背景が、やるせない日常でちょっとした期待や大きな失望に揺れる人々の姿とが、よくマッチしていた。

渋谷シネマヴェーラで7/21-8/17の間Fritz Lang特集をやっているので出かけてきた。出来れば沢山観たいのだがなかなか日程が合わないやつもあるな・・・。Fritz Langは旧ブログを参照すると今はもう無い新橋文化劇場で2013年に観た辺りから劇場で観るようになったのかな。初めて観たのはやっぱり「メトロポリス」だけどいつだったかは忘れてしまった。
とりあえず、旧ブログの感想はこちら。今のブログのはこれ
思っていたよりお客さん入っていたねえ(ほとんどは高年齢層の男性、まあ自分もその類なんだが)。2本観た。
「西部魂(原題:Western Union)」(1941)(劇場)
 西部劇は基本のフォーマット自体が現代の視点から観ると差別的な要素を含んでしまうので、さすがにFritz Langでもこんなものかーとがっかりするところが各所に見られる。先住民は未開の民族で素朴で騙されやすい人々という描き方になっているところなど。ただ電信事業の話で主人公の一人が技師だったりコメディリリーフ役が気の弱いコックだったり、視点があくまでもインドア派のものなのはヨーロッパの都会育ち(詳しくはないのだがウィーン生まれらしい)でアメリカ人の感覚とは少々違うのではないか。まあマカロニ・ウェスタンとかもあるから細かくいえばいろいろ難しそうだが・・・。アウトローの苦悩をにじませたRandolph Scottは渋い二枚目でカッコよく、全体として話はよく出来ている。

「死滅の谷(原題:Destiny)」(1921)(劇場)
 こちらはまた随分古い作品でサイレント。死神から恋人を返してもらおうとする娘の話が時代や地域を超えてオムニバス形式で綴られるユニークな作品。舞台がアラブ、イタリア、中国と移り変わるが、こちらの作品でもアラブや中国への理解がさすがに大雑把で誤解に満ちている感じ。まあ90年以上前なのでやむを得ないかな。死神のベルンハルト・ゲッケ(Bernhard Goetzke)の顔がすごく死神ですごい(<語彙w)のだが、一方で無邪気なバカップルがえらい目にあってさあ大変というコメディのようにも見えたり(笑)。作品の見どころは特殊効果で、時代を考えるとかなり斬新で驚かされる。

2018年6月に読んだ本、とイベント

6/23には丸屋九兵衛さんのトークイベントダブルヘッダー
Soul Food Assassins vol.6 は黒人英語の歴史的な背景からくる文法の話など面白かった。スラング、とステレオタイプに軽んじられる問題についてはしつこく訂正をしないといけないことがよくわかる。まだまだ聞きたい感じ。とりあえずBRER RABBIT retold をポチってしまった。

Q-B-CONTINUED vol.23はアーシュラ・K・ル・グイン祭には丸屋さんが多方面でル・グインから受けた影響がいろいろわかり興味深かった。SF話も沢山聞けてよかった。キム・スタンリー・ロビンスンの高評価を聞き、積んでる火星三部作をなんとかしなきゃいかんと思った。(前々から聞いていたtattooが結局こうなったのかという発見もあった)。
お茶会も参加、こちらではタイガー・ジェット・シンやいろんな国の食事の話題なども出た。

というわけで6月はこれまで未読だったゲド戦記読破月間、にしたかったが『影との戦い』『こわれた腕環』『さいはての島へ』『帰還』『ドラゴンフライ』まで(『アースシーの風』を5番目に読むべきだったかなーとも思った)。ヤングアダルト向けのフォーマットだが全体を覆う仄暗さと痛みが印象的なシリーズだ。大いなる力をどう使うかというファンタジーの王道的なテーマに加え、名前や呪文など言葉が大きな意味を持つ世界像が実にル・グインらしい。真の言葉こそが世界を解き救いになるという思いが感じられる。このシリーズについてはいつかもう少し書きたいと思う。

6/24には第14回怪奇幻想読書会に参加。
第1部「新入生に勧めたい海外幻想文学」の方は、SF寄りなものをはずすとまだまだこちらが読めていないからなあ・・・。それに入手しやすいものとなるとまた難しい。とりあえず『影が行く』『闇の展覧会 霧』『虚ろなる十月の夜に』『レ・コスミコミケ『柔らかい月』などを挙げてみた。『闇の展覧会』のシリーズは怪奇幻想入門としていいと思うから他のもまた読めるようにして欲しい。自分のホラー系の入り口はこれ。
第2部は課題図書『不思議屋/ダイヤモンドのレンズ』 で(怪奇幻想読書会初の課題図書!)。以前『金剛石のレンズ』で既に感想は書いている。再読して改めてその現代性とストーリーテリングの巧さに驚かされた。『金剛石のレンズ』には未収録だった「ハンフリー公の晩餐」は貧乏な若い夫婦を描いた完成度の高い普通小説だが妄想で逃避をしようとする描写が秀逸で作者の資質が幻想指向であることを示している。時代的に差別的な視点ものぞくが、一方でエキゾチズム指向の面も持っている感じがある。

あとだらだら読んでいた『東欧怪談集』も読み終わった。様々な作家が収められているが全体にアクの強い(それだけ印象の強い)短編集である。よかったのは、呪われた剣をめぐる騎士物ポトツキ 「「サラゴサ手稿」第五十三日」、小話のようなムロージェック 「笑うでぶ」、多原語文学者家系であることに驚かされる米川ファミリーの一人ヨネカワ・カズミの鮮やかな怪異譚「蠅」、アンチ・ミステリ的なチャペック「足あと」、ユダヤの二編ペレツ「ゴーレム伝説」シンガー「バビロンの男」、心が底冷えするようなフォークロアのキシュ「見知らぬ人の鏡」あたりか。

2018年4~6月観たライブ、映画やTVなどまとめて

4/9にStewart CopelandとAdrian BelewのバンドGizmodromeのライブ観た。一度はAdrian Belewを観ておきたかったので。さすが腕利きばかりで演奏は素晴らしく想像以上に良かった。彼らのオリジナルはStewart Copelandが中心になったPoliceないしAdrian Belewが乗っ取ったTalking Headsといった80sらしいシュールでポップなカラー。

「バーフバリ 伝説誕生」(2015)「バーフバリ 王の凱旋」(2017)(劇場)
 2回に分けて4月にようやく観た。これは凄いね。現代に神話を成立させるあらゆる条件がインド映画にはあるのかもしれない。特にロマンスとアクションが同種のカタルシスであると徹底されて全体が大きなうねりになっているところが素晴らしい。その点でいけば弓矢のシーンがコアイメージで、ポスターにも使われるんだと思う。ちなみに友人であるインドのホテル王によると本国での熱狂も相当なもので、他の作品を上映すると観客が取られてしまうため、どこもかしこもバーフバリが上映されていたらしい。

「カラーズ 天使の街」(1988)(TV録画)
 白人警官と黒人という図式は深刻なblack lives matterの問題を考えると劇映画としての表現が実際のギャング抗争とどの程度遊離していたのかどうしても気になるが、混沌とした状況が伝わるストリートな感覚はさすがデニス・ホッパーといったところだろう。副題の"天使の消えた街"は誰がつけたのか知らないが、LAのAngelesとPCP(通称angel dust)とかかっていてなかなかうまい。

「タクシー運転手」(2017)(劇場)
 重い題材にも関わらず、ポイントポイントで娯楽性あふれる見せ場を配置しているので劇映画としても楽しく仕上がっているのがさすが。そこらにいそうな男たちがいつのまにかカッコよく見えるマジックがツボだが、やはりソン・ガンホはいいな。ただ中盤少々冗長なところはあったかもしれない。

私はあなたのニグロではない」(I AM NOT YOUR NEGRO)(2016)(劇場)
 ジェイムズ・ボールドウィンの言葉や映像から黒人差別問題を追うドキュメンタリー。背景にあるアメリカ白人側の精神的な歪みに迫りタイトルの意味が明らかになるところがスリリング。ガツンと腹にくる重さとシャープさが同居し凄味があった。

普段あまりみないTVドラマを2本録画して観た。


NHKドラマ「ホシに願いを」(2004年)
 大杉漣西城秀樹を追悼して5/26にNHKBSで放送していたのを録画視聴。これが結構面白かった。ミュージックinドラマと題されて、ベースは温泉ミステリなのだがミュージカル風にかなりの部分を歌やダンスが占めていて、役者もほとんどがミュージシャンで歌のシーンがある。大杉漣はともかく笹野高史熊倉一雄にまでほんの少しだが歌のパートがある(ググる笹野高史は音楽部経験があるようだ)。謎解きも割と考えられていて伏線も効いている(大杉漣演じる刑事の子ども時代のエピソードも、というわけでメインは下記の様に秀樹なのだがちゃんと大杉漣追悼としてのドラマにもなっているのだ)。使われているのは大部分が洋楽で、基本的には洋楽の日本語翻訳ミュージカルといったスタイル(原語の歌もあるが)。こうしたものについては(自分のような)いわゆる洋楽ファンには多少抵抗があると思う。どうしても元の曲とは異なる内容になることが否めないからである。しかし亡くなってからいろいろ流れていた西城秀樹の動画を見ると、活躍していた時代(70年代あたり)にはそうした文化が当たり前であったことも気づかされる。西城秀樹が根っからの洋楽好きであったことはよく知られ、普段日本の音楽を聴かないような友人たちにも一目置かれた存在だった(メドレー形式で曲が次々に移り変わる場面の半ば強引とも思われる流れで挟みこまれるツェッペリン「天国への階段」には笑ってしまった)。西城秀樹演じるスターが後進に座を譲ろうとし舞台から去るシーンはあまりにも追悼に相応し過ぎた。そして翻訳文化であったロックを日本語化するという時代的な役割を果たしてきた人なのだなあ、とその歩みやロックと日本語というやや懐かしいテーマについても考えさせられた。様々な面で見どころの多い、いいドラマである。また、こうした国内のコンテンツをもう少し簡単にアクセスできるようにした方がいいのかもしれないということも思った。

NHKBSのドラマ「R134」
 江ノ電で広告が出てたから昨日録画していて、観てみたがまあよくある観光ドラマといった感じ。ただ番長がバーテン役で出てくるので許そう(笑)。(ネットのどこかでTVドラマに出るという情報を見た気がするがこれだったのか)

2018年5月に読んだ本、とSFセミナー

今年もSFセミナーに参加。
最初の新進作家パネルではマイペースに独特な奇想から創作をしていくような石川宗生さんの作家というより現代アーティストといった佇まいとオタク文化とアイディアの組み合わせから創作をしていく草野原々さんのハイテンションなキャラクターが好対照で面白かった。
二番目の山野浩一追悼座談会では知らない読者のために限られた時間の中出来るだけ多くの資料を紹介しようとする岡和田晃さんの奮闘ぶりが伝わった。出演者デーナ・ルイスさん、高橋良平さん、大和田始さんによる当時の貴重なお話は興味深いものばかりだが、山野浩一が(やはり)いわゆる日本SFの第一世代とは異なる文脈からSFを書くようになったことや政治的な文脈という切り口も重要であることが印象に残った。またその時代より少し後にSFに関わる方々と知り合うことになった自分としては、自分の記憶する少し前の時代の様子を知ることができたのもありがたかった。
(本会のみですが他は聞いておらず・・・)
今回「日本のディレイニー受容」を書かれ、ニューウェーヴSFを現代の視点から読み直しておられる麻枝龍さんに初めてお会いしてお話ができたのも非常に嬉しい出来事だった。息子のような(!)世代の方で関心を持たれているということで勝手にあれやこれやお話させていただいた。こういう機会があると、自分がSFを読み始めてから数年でSFセミナーについて知り、(その後ブランクはあったが)長年SFセミナーに参加してきた時の流れがなんとも不思議な気もするがとにかく楽しい時間を過ごさせていただいた。麻枝さんありがとうございました。それから麻枝さんは第6回シミルボンコラム大賞「宮内悠介を読む」の最終選考9編に残られたが、そのタイトルがまさしく<「新しい波」、「第二波」来襲!――山野浩一から宮内悠介へ>
shimirubon.jp
である。熱い!今後の麻枝さんに期待が膨らむ。(ちなみに当ブログ主はそのコラム大賞あえなく落選しました(笑)
あと旧知の方々とも食事会で楽しく本の話で盛り上がる。皆さまありがとうございました。

さて読了本。なかなかペースが上がらないが・・・。
マニエリスム談義: 驚異の大陸をめぐる超英米文学史高山宏×巽孝之
 基本的にマニエリスムへの理解が曖昧だったので把握が追いついていない部分が多くあったのだが、次々と刺激的な新しい視点で切り込んでいく高山氏に、呼応し資料的な補強を行う巽氏という息の合った対談らしい面白さにあふれ一気読み。視野を広げてくれる本だ。
『錯乱のニューヨーク』レム・コールハース
 数年前古書店で偶然発見、隠喩の多用でなかなか難しくちびちび読む形になったがようやく読了。現代のテーマパークもかくやといったスケールで作り上げられた19世紀末から20世紀初頭の異様なコニーアイランドユートピア指向で高層化する摩天楼と併存する健康志向(腸内に人工培養菌を注入し新陳代謝を図るという「洗腸」療法設備まである医療設備などが配置されたダウンタウン・アスレチック・クラブを著者は「成人用保育器」と呼んでいる)が大変興味深かった。題材や文体の手触りはJ・G・バラードのようで刺激的だ。通史を抑えてから再読するべきなのかもしれない。
『自生の夢』飛浩隆
 言語を媒介とした外部からの干渉で変貌する人類というテーマを作者ならではの蠱惑的な文体で描いたタイトル作と関連する設定の短編3作と他読み切り3作からなるという短編集で関連作の一つは散文詩のような形式でまとめてストーリーが展開される構成にはなっておらず一見纏まりを欠いた構成ながらも、基本的に関連作ではない残り3作もトーンやテーマは重なり、各作品の幅がかえって多面的な奥行きを与え一冊全体として読者を虚構世界へ攫ってしまう力がある。日本SF大賞も妥当だろう。
『マラキア・タペストリブライアン・W・オールディス
 ドン・ファンをベースにしたと思われる異世界もの。解説を読むと絢爛たる小説のようなイメージだが、背景の世界の設定は凝ってはいても、必ずしも有機的にストーリーとからんでいるとはいえず、オールディス特有のエゴイスティックな登場人物が中世風の日常ドラマを演じているといった印象。オールディスの着眼など発見はあったが作品そのものとしてはやや平板。
「たべるのがおそい Vol.1」
 拾い読みしていたがようやく創作を読了(感想はうまく書けないので触れないが短歌も読んだ)。
「あひる」今村夏子 語り手の家族の様相が不気味に浮き上がってくるなかなか不穏な作品。
「バベル・タワー」円城塔 エレベーターという素材から作者らしい幾何学でな奇想が炸裂する傑作。
「静かな夜」藤野可織 姿の見えない声が聞こえる、というシチュエーションから意外な方向性に展開。
「日本のランチあるいは田舎の魔女」西崎憲 土着的なものと都会的なものが自然に同居し背後に不気味な世界か感じられるところが面白い。
「再会」ケリー・ルース 日本文化とノスタルジィの調和した切ない掌編。
コーリング・ユー」イ・シンジュ モーニング・コールを仕事する主人公と客を軸にカート・コバーン太宰治の自殺のイメージが挿入される内省的な作品。