異色もん。

ドラえもん、もやしもん、くまもんに続く第四のもん。いつか鎌倉の老人になる日まで。(単なる読書系ブログです)

2018年5月に読んだ本、とSFセミナー

今年もSFセミナーに参加。
最初の新進作家パネルではマイペースに独特な奇想から創作をしていくような石川宗生さんの作家というより現代アーティストといった佇まいとオタク文化とアイディアの組み合わせから創作をしていく草野原々さんのハイテンションなキャラクターが好対照で面白かった。
二番目の山野浩一追悼座談会では知らない読者のために限られた時間の中出来るだけ多くの資料を紹介しようとする岡和田晃さんの奮闘ぶりが伝わった。出演者デーナ・ルイスさん、高橋良平さん、大和田始さんによる当時の貴重なお話は興味深いものばかりだが、山野浩一が(やはり)いわゆる日本SFの第一世代とは異なる文脈からSFを書くようになったことや政治的な文脈という切り口も重要であることが印象に残った。またその時代より少し後にSFに関わる方々と知り合うことになった自分としては、自分の記憶する少し前の時代の様子を知ることができたのもありがたかった。
(本会のみですが他は聞いておらず・・・)
今回「日本のディレイニー受容」を書かれ、ニューウェーヴSFを現代の視点から読み直しておられる麻枝龍さんに初めてお会いしてお話ができたのも非常に嬉しい出来事だった。息子のような(!)世代の方で関心を持たれているということで勝手にあれやこれやお話させていただいた。こういう機会があると、自分がSFを読み始めてから数年でSFセミナーについて知り、(その後ブランクはあったが)長年SFセミナーに参加してきた時の流れがなんとも不思議な気もするがとにかく楽しい時間を過ごさせていただいた。麻枝さんありがとうございました。それから麻枝さんは第6回シミルボンコラム大賞「宮内悠介を読む」の最終選考9編に残られたが、そのタイトルがまさしく<「新しい波」、「第二波」来襲!――山野浩一から宮内悠介へ>
shimirubon.jp
である。熱い!今後の麻枝さんに期待が膨らむ。(ちなみに当ブログ主はそのコラム大賞あえなく落選しました(笑)
あと旧知の方々とも食事会で楽しく本の話で盛り上がる。皆さまありがとうございました。

さて読了本。なかなかペースが上がらないが・・・。
マニエリスム談義: 驚異の大陸をめぐる超英米文学史高山宏×巽孝之
 基本的にマニエリスムへの理解が曖昧だったので把握が追いついていない部分が多くあったのだが、次々と刺激的な新しい視点で切り込んでいく高山氏に、呼応し資料的な補強を行う巽氏という息の合った対談らしい面白さにあふれ一気読み。視野を広げてくれる本だ。
『錯乱のニューヨーク』レム・コールハース
 数年前古書店で偶然発見、隠喩の多用でなかなか難しくちびちび読む形になったがようやく読了。現代のテーマパークもかくやといったスケールで作り上げられた19世紀末から20世紀初頭の異様なコニーアイランドユートピア指向で高層化する摩天楼と併存する健康志向(腸内に人工培養菌を注入し新陳代謝を図るという「洗腸」療法設備まである医療設備などが配置されたダウンタウン・アスレチック・クラブを著者は「成人用保育器」と呼んでいる)が大変興味深かった。題材や文体の手触りはJ・G・バラードのようで刺激的だ。通史を抑えてから再読するべきなのかもしれない。
『自生の夢』飛浩隆
 言語を媒介とした外部からの干渉で変貌する人類というテーマを作者ならではの蠱惑的な文体で描いたタイトル作と関連する設定の短編3作と他読み切り3作からなるという短編集で関連作の一つは散文詩のような形式でまとめてストーリーが展開される構成にはなっておらず一見纏まりを欠いた構成ながらも、基本的に関連作ではない残り3作もトーンやテーマは重なり、各作品の幅がかえって多面的な奥行きを与え一冊全体として読者を虚構世界へ攫ってしまう力がある。日本SF大賞も妥当だろう。
『マラキア・タペストリブライアン・W・オールディス
 ドン・ファンをベースにしたと思われる異世界もの。解説を読むと絢爛たる小説のようなイメージだが、背景の世界の設定は凝ってはいても、必ずしも有機的にストーリーとからんでいるとはいえず、オールディス特有のエゴイスティックな登場人物が中世風の日常ドラマを演じているといった印象。オールディスの着眼など発見はあったが作品そのものとしてはやや平板。
「たべるのがおそい Vol.1」
 拾い読みしていたがようやく創作を読了(感想はうまく書けないので触れないが短歌も読んだ)。
「あひる」今村夏子 語り手の家族の様相が不気味に浮き上がってくるなかなか不穏な作品。
「バベル・タワー」円城塔 エレベーターという素材から作者らしい幾何学でな奇想が炸裂する傑作。
「静かな夜」藤野可織 姿の見えない声が聞こえる、というシチュエーションから意外な方向性に展開。
「日本のランチあるいは田舎の魔女」西崎憲 土着的なものと都会的なものが自然に同居し背後に不気味な世界か感じられるところが面白い。
「再会」ケリー・ルース 日本文化とノスタルジィの調和した切ない掌編。
コーリング・ユー」イ・シンジュ モーニング・コールを仕事する主人公と客を軸にカート・コバーン太宰治の自殺のイメージが挿入される内省的な作品。

2018年4月に読んだ本、と読書会

あっちこっちつまみ読みしたが・・・全体としては低調モード。
あ、読書イベントには参加して面白かった。
ドン・キホーテ』 前編一・二 セルバンテス
 遅々として進まないが、なんとか読了したいシリーズの一つ(笑)。いや面白いですよ。周囲がドン・キホーテを欺くところや小説内小説『愚かな物好きの話』自体が演技と本心がすり替わるような話で、虚と実に意識的かつ高度な分析がなされていてセルバンテスの驚くべき先駆性がわかる。
『半分世界』石川宗生
 話題のようなので読んでみた。これはユニークな作家の登場だ。
「吉田同名」大量に分裂した人物について形而上学的な奇想に発展していくところがユニーク。
「半分世界」突然半分になった家で暮らす家族。生活が丸見え状態となり、否が応でも住民の興味をかきたてる。意表をつく発想でこれにも驚かされた。
『見えるもの見えざるもの』E・F・ベンスン
 当時のテクノロジーが題材に取られることが多く、理知的だが降霊術はよく登場し死後の世界との交信というテーマに強い関心があるようだ。また画家と酒も題材として好まれている印象。以下◎が気に入った作品。
◎「かくて死者は口を開き」死者の再生と脳科学のイメージが重なっているマッドサイエンティストもの。蓄音機が脳の記録というアイディアに形を与えているのが興味深い。
「忌避されしもの」美しいが恐ろしさがあるという女性嫌悪的な小説は他にもありそう。(※下記の読書会ではもっと異形なものとしての側面が深い読解がなされていた。読み直す必要がありそうだ)
「幽暗に歩む疫病あり」呪われた土地というパターンだが、ストンと落ちがつく。
「農場の夜」妻に殺意を抱く男。正調怪奇小説といった印象。
「不可思議なるは神のご意思」ファムファタールをめぐる駆け引きという古典的な骨組みに人工湖という近代的な物が不協和音を軋ませる。
「庭師」これも古い家、霊応盤といったストレートな怪奇小説
◎「ティリー氏の降霊会」作者の死後の世界への関心がうかがわれる作品でユーモラスなところもある。
「アムワース夫人」吸血鬼ものにエキゾチズムが重要な要素であることがわかる。
「地下鉄にて」1922年の作品(もう地下鉄はあったのか)。鉄道ホラーの系譜。
◎「ロデリックの物語」しんみりとした切なさが心に残る怪奇小説。こちらも死後の世界とのつながりがテーマになっている。
 そしてこの本を課題図書にした4/13双子のライオン堂で行われた<~幻想文学集中ゼミ~〈ウィアード〉な世界への招待状~>(コーディネーターは岡和田晃さん)にも参加。ベンスンの他の著作についてや作家一家の出である側面や当時の受容状況やラヴクラフトとの関連など詳しく知ることが出来た。岡和田さん参加者のみなさん双子のライオン堂さんありがとうございました。
地球の長い午後ブライアン・W・オールディス
 再読。古くからのSFファンで名作として名高い作品だが、初読は10代ではなく30歳前後だったのではないかと思う。なのである程度の記憶はあったが、思っていた以上に無茶苦茶な話で(笑)、科学的整合性がどうしたといわんばかり映像的なインパクトと限界までのイマジネーションを追求していることが再確認された。また奇妙な生命体やスケールの大きなアイディアとエピソードが次から次に詰め込まれ最後までテンションが落ちないところも驚かされた。
 こちらは名古屋SF読書会の課題図書。なんと3年ぶりの参加だった。ちなみに3年前のブログ記事↓

funkenstein.hatenablog.com

名古屋SF読書会はホスピタリティの高さが素晴らしく、幅広い層の方が参加しいろんな話題が楽しく展開される上にプロの方もいらっしゃるのでいきなりディープなところまで掘り下げられたりする懐の深さが魅力。いろんなお話が出来て、さらにtwitterでも話題が進んだのだが、個人的にはオールディス流の神話の再構築といった要素があるのではないかという話題をその時提出させていただいた。一方でオールディスは無神論者ということらしく、そうなると「神なき時代の神話」ということになるのだろうかとかつらつら考えたり。あと60年代に書かれた本書の主人公グレンは同時代の反抗する若者が背景にあるようだが、オールディス自体はそれより上の世代なのでその辺の距離感がややつき離したような描かれ方になっているのではないかということを考えたりもしていたが、これは読書会ではお話しするのを忘れてしまった(そもそも全体が社会そのものを戯画化しているということなのかもしれないが)。
あとは伊藤典夫訳の凄さ!電書のHothouseを購入し、ちょっとチェックしてみたんだがDumbler黙(ダンマリ)をはじめチョイスが絶妙。あらためて驚かされた。
今度は3年経たないうちに参加したい。
そうそうついでに読んだオールディス作品。
『隠生代』 "2070年代の人類は、ついに画期的な時間旅行法―マインド・トラヴェル―を発見した。CSDと呼ばれる時間移行誘発剤を飲めば、精神が肉体の束縛から解きはなたれ、過去へと飛べるようになるのだ。(中略)シルヴァーストーンによれば、時間は過去から未来へと流れているのではなく、じつは未来から過去へと流れているというのだ!(後略)”といった裏表紙のあらすじを読むとバリントンベイリーみたいな小説を期待しちゃうでしょ。書き割りのようでしかも古めかしい登場人物、割と限られた時代を行ったり来たりするだけのスケール間の乏しさ、架空にしても論理がゆるすぎて一読ではなにを表現したいアイディアなのかわからないという具合でかなり残念な出来。実は『地球の長い午後』より後の時代の作品ということなので、技術的なことよりもパッションの問題の方を疑う(苦笑)。(ちなみに名古屋SF読書会で自分のところの班の司会をつとめて下さった渡辺英樹さんも「あらすじは面白そうだがつまらない」とおっしゃっていた(笑)
『爆発星雲の伝説』以前からアイディアの豊富なオールディスは中短編の方が面白いと定評があり、今回読んでみた。遠未来だが貴族社会風味の人間ドラマが不思議な味を醸し出している「一種の技能」、自身の戦争体験が描写に重みを加えている「心臓とエンジン」、言語実験的な「断片」、オフビートなSF冒険小説で(浅倉訳のためか)意外にもヴァンスを彷彿させるタイトル作、異様な生物を描くと真骨頂が発揮される著者らしい名作「讃美歌百番」と思いの外バラエティに富んでいる傑作短編集だった。インド映画の大家でも知られるフモさんが素晴らしいレビューを投稿されているので是非。
『爆発星雲の伝説』 ブライアン・W・オールディス - メモリの藻屑、記憶領域のゴミ
ちなみにこの本、第10回怪奇幻想読書会の本の交換会で主催のkazuouさんからいただいた本なのだ。あらためてお礼を申し上げたい。

「唾の樹」(『影が行く』収録)も再読してみた。こちらは傑作『解放されたフランケンシュタイン』のようにオマージュものを得意とするオールディスの長所がよく出たウエルズ『宇宙戦争』オマージュものでやっぱり傑作。とりあえずその『解放されたフランケンシュタイン』に『モロー博士の島』と『ドラキュラ』のオマージュ作品が入ったThe Monster Trilogyというのがkindleにあったので買ってみた(いつ読めるかは不明)
https://www.amazon.co.jp/Monster-Trilogy-Brian-Aldiss-ebook/dp/B00C8Y3AOE/ref=sr_1_1?ie=UTF8&qid=1525091873&sr=8-1&keywords=kindle++the+monster+trilogy

扇湖山荘(鎌倉園)をようやく見てきた

さて以前のブログで扱った鎌倉園こと扇湖山荘、

https://www.city.kamakura.kanagawa.jp/kamakura-kankou/event/1125senkosansou.html

(全くご存知でない方のために補足。わかもとで財をなした長尾欽彌の別邸がここ。私事になるが、鎌倉に転居して散歩していたら広大な敷地の自然豊かな場所があることに気づいたのだ) 

平成22年鎌倉市に寄付されてから時々公開している。たぶん昨年からではないかと思うが全く気づいておらず、久々にググったら今年の公開が近いことを知り今日見てきた(とはいえ危うく忘れそうだった。どうも最近記憶がゆるくていけない(苦笑)

https://www.city.kamakura.kanagawa.jp/kamakura-kankou/event/1125senkosansou.html 

これまで閉じられていた黒い門が開いた!

もうそれだけで大興奮である。

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さてまずかやぶきの門というのがある。

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ここから入って右が椿園になっている。残念ながらもう花は終わり気味なので写真は省略。ただ鶯が鳴いていた。整備された庭園や植物園と違って普通に木の近くに行けるのが新鮮。

メインの建物は本館というようだが、もう一つ鄙びた伏見亭という茶室がある。

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庭がうまく撮れなかったが、部屋は複数あって割とここも広い。やや小さめながら角度によっては海が見える庭は季節の変化が楽しめそうだ。

結構な広さで存在感があるのが竹林。今日は風が強く、竹の当たる音が響いて風情があった。

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紅葉もそこかしこにあり、うっかりしていたが桜や梅に紫陽花あるようだ。

そして本館からの海の眺め。

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扇のように見え海なのに湖のように穏やかで扇湖山荘とつけられたという。

昭和9年に飛騨高山の民家を移築・改築したというのがこの本館。

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どことなく鎌倉文学館(旧前田侯爵家別邸)を思わせる和洋混合のつくりが時代を偲ばせる。まあ微妙につくられた時代は違うが。

椿トンネルを抜けて一周し終了。

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おそらく公開されたのは一部なのではないかと思う。少なくとも通行止めの通路はあって、もっといろんな角度から庭が楽しめそうだ。あまり庭園に詳しくないので雑感だが、これだけの規模の庭園は鎌倉にはなかなかないのではないか。その分維持も大変と思うが、なんとか保存されて欲しいと思う。

その存在に気づいて10年。ようやく夢が叶った。

秋にも公開があるらしい。美しい紅葉が楽しめそうだ。

 

 

 

 

 

2018年3月に読んだ本

『鉄の夢』ノーマン・スピンラッド
 途中まで読んだ状態で数年放置していたがようやく読了。アメリカに渡ってB級SF作家になったアドルフ・ヒトラーが書いた「鉤十字の帝王」とその解説からなる、改変歴史ものの入れ子構造で有名な作品。もちろんこの「鉤十字の帝王」は安っぽく歪んだ小説として作られているのだが、ソ連に支配された世界の中で書かれた設定になってる設定の解説の方もまたその政治観を括弧付きで読まなくてはいけないというひどくねじくれた作品。考えるだけでも面倒な代物をよく形にできたなあとほとほと作者のひねくれたセンスに感心する。さらに書かれた後にソ連が崩壊してさらにまたもうひとひねり加わっているややこしさもひと味加わっており、そこは元々の発想の秀逸さゆえだろう。
『盤上の夜』宮内悠介
 囲碁、チェッカー、麻雀、チャトランガ、将棋にテーマをとり、現代社会に生きる個人の苦悩と世界認識といったスケールの大きいテーマにつなげていく、あまりに見事なデビュー作。鮮やかなアイディアとストーリーテリングの合間にのぞく勝負に生きる登場人物たちの孤独と切迫した心象風景が痛みと共に胸に響く。
アメリカ最後の実験』宮内悠介
 アメリカを舞台にしたスピリチュアルな音楽小説。作者の一味違った一面が感じられる。
『ユートロニカのこちら側』小川哲
 『ゲームの王国』の前にひとまず読んでみた(いやそちらはいつ読めるかわからないがw)。人々が自ら入居を希望する高度な管理実験都市が成功しはじめた近未来。実存に関する精緻で切実な問いかけと秀逸なアイディアがバランスよく融合し、この作品もまたデビュー作とは思えない端正な連作長編。
『柔らかい月』イタロ・カルヴィーノ
 大きくは天体から小さくはミクロの世界、さらには幾何学まで自由自在。数理的なイメージあふれる奇想で抜群に面白い。カルヴィーノやっぱりっすげえ。積読していてはいけなかったw
『砂の本』ホルヘ・ルイス・ボルヘス
 再読。以前ぼんやり読んでいたせいか、「汚辱の世界史」などにピンとこない部分があったが、正史には描き切れないこの世界の不可思議さをとらえていこうというボルヘスのセンスがしっくりくるようになった。いろんなところから引っ張ってくるところはDJ的でもあるね。これまた今更だがやっぱりボルヘスもすげえw
『サピエンス全史』ユヴェル・ノア・ハラリ
 これね・・・。ホモ・サピエンスの進化に関する最新の研究を紹介した本だと思ってたんですよ。読み始めたらなんか違っていたんで随分時間がかかりました。まあ予想と違っていたんで誰のせいでもないです自分のせい。とにかく読み終えましたw
『動きの悪魔』グラビンスキ
 鉄道ネタというしばりにしてはバラエティに富んでいてグラビンスキはなかなかアイディアがある人だなあと感じる。ある意味幸福な鉄道の仕事に没入してしまった男を描いた「音無しの空間」、妙にエロティックで異様な熱量の「車室にて」、どことなくラヴクラフトっぽいタイトル作、マシスンのようなSFホラー「待避線」などが面白く、グラビンスキのセンスは先駆的で現代にフィットしていると思う。 

3月に観た映画など

とはいえ劇場で観たのは1本のみ。来週は観られないので備忘録。
劇場で観たのは
ブラックパンサー」(2018年)
 宣伝で知ってからアフロフューチャリズム好きとしては観たくてたまらなかったのだが、時間がなくてようやっと。内容は期待以上のもので大変素晴らしかった。まずはこれまでメジャー映画では人種差別や歴史を扱ったシリアスな作品やストーリーの周縁をいろどるものでしか登場しなかったアフリカ文化が従来の壁を打ち破るド派手なSFアクションの文脈で真正面から取り上げられているところが凄い。ストーリー、映像、音楽、配役・演技どれも上質で文句なしの完成度だ。本国で大ヒット、エポックメーキングでありまたアフリカンアメリカン的な文化の浸透があることが感じられる。しかも対立構造として密かに文明の発達させ豊かに暮らすワカンダと世界で苦しむアフリカ同胞たちを無視していいのかという人々(世界を牽引しようという動きが常にある米国の文化が背景にあるアフリカンアメリカンという立ち位置が象徴的)があって現実社会を反映しているところもアクセントを加えている。SFとしてはヴィヴラニウムという架空の物質で進歩した文明というかなり古式ゆかしい伝統芸的なものを基盤としているのでそこに目新しさはない。また十分に配慮されたものとはいえアフリカ文化への視点がまだまだステレオタイプだとする批判もあるようだ。 
http://www.monitor.co.ug/OpEd/columnists/DanielKalinaki/film-Black-Panther-okay-statement-deeply-problematic/878782-4342070-rhp3igz/index.html 

しかしそれを鑑みても本作の存在は歴史的なものとなるだろうと思う。本作のポイントは薄汚れたそしてゴールも廃品でつくられたようなバスケットボールコートで遊ぶ少年たちだ。貧しい少年たちが夢を抱くのはバスケットボールプレイヤーやヒップホップアーティストかはたまたドラッグディーラーやピンプだったりしてしまうかもしれない。そして彼らの一部は宇宙を見上げそこからマザーシップが救いにくるのを待っている・・・アフロフューチャリズムにはそんな面があるように思う。ワカンダは宇宙にあるわけではないが、伝統と先端技術が融合した(ある意味荒唐無稽な)夢の国だ。ティチャラ(ブラックパンサー)が空からやってくるのは偶然ではない。空を見上げる彼らを救ってくれる存在なのだ。そう思うとティチャラがジョージ・クリントン(若い頃)に見えてくるのだった。

カッコーの巣の上で」(1975年)
 TV録画視聴。精神病院を扱った映画で社会派として認識していたが、実際の社会問題云々は別として(時代も変化して意味も変質するだろうし)、映画自体は抑圧とそれに対する抵抗といったもので米国らしい作品といえる。登場人物たちそれぞれの苦悩がからみあって進むストーリーはバランスよく完成度が高い。各種賞を受賞したのも当然だろう。

「極底探検船ポーラーボーラ」(1977年)
 TV録画視聴。円谷プロの日米合作映画。まずはジェンダー的な描き方でアウトなんだが、ストーリーもグダグダ特撮もしょぼいという見るべきところのない作品。ちなみにところで川本博士役の中村哲はどことなくThe Man in the High Castle(半分くらいしか観てないw)のCary-Hiroyuki Tagawaを思わせる。米国視線からの重厚な日本人顔というか。