4巻目はフランス編。これまでの巻と毛色が異なっている。
特に面白かったのはヒロイックファンタジーの先駆ともいえそうな(しかも主人公は完全な悪漢)サドの「ロドリゴあるいは呪縛の塔」、科学の闇の部分を描きこれまた現代に通ずるボレル「解剖学者ドン・ペサリウス」、美しい幻想詩のようなフォルヌレ「草叢のダイヤモンド」、怪奇というよりは一般文学あるいは心理小説だが印象的なドルヴィリ「罪のなかの幸福」、なんとも首回りが苦しくなるような描写が光るモーパッサン「手」、短くシンプルだが映像的で鮮烈なシュオッブ「列車〇八一」、自転車がモチーフというのがユニークで奇妙な味わいの「自転車の怪」。
渋澤龍彦の解説にもあるように心理や人間に比重を置きがちなせいか、いわゆる怪奇小説のおどろおどろしいイメージとはたしかに少しずれた感じの小説が多かった。たとえばユーモア色が目立っていたり恋愛がモチーフになっていたりラストがあまり締まっていなかったり(ただラストに関しては19世紀の作品が多く、形式への意識が高くないこともあるのだろう。むしろそこが良かったりもするのだが)。その一方で傑作とまではいえないが後を引くような作品も目立ち、本人はロマン派に批判的だったというのが意外なくらいに幻想にのめり込む主人公の強迫的な姿がよく描かれているゴーティエ「死女の恋」、恋愛テーマとはいかにもフランス的と思わせながらサイコな主人公が実に不気味な「恋愛の科学」、一種の超能力もので切れ味の悪いラストが妙に気になるアポリネール「オノレ・シュブラックの消滅」といったところがそうだし、またファレール「幽霊船」の阿片、エロ「勇み肌の男」の決闘、ロラン「仮面の孔(あな)」の仮面舞踏会、モーラン「ミスタア虞(ユウ)」の中国趣味など背景の時代を感じさせてくれる。
作家たちの個性もそれぞれだが、迷信的な作家が狂熱的な小説を書き、理性を重視する作家が理知的でクールな作品を書いているかというと意外とそうでもないところが面白い。作家本人の話は好きで作品を読む手がかりになることも多いが、基本的には作品というのは本人と独立して考えた方がいいのだろうなあとあらためて感じた。
2017年3月に読んだ本
昔買って積んでいた文芸誌を結構拾い読みした。
『新潮』2015年9月号
川上未映子「苺ジャムから苺をひけば」
腹違いの姉がいることを知った少女。技巧的には文句なしだが、手堅過ぎるのと子どもたちが妙に大人びているのが気になりいまいち。
金井美恵子「孤独の讃歌」あるいは、カストロの尻
そこへいくと金粉ショーの男性ダンサーを扱ったこちらは一見昭和的な題材を扱っていても切り口が新しくさすがである。面白かった。
『新潮』2015年11月号
新潮新人賞 「恐竜たちは夏に祈る」高橋有機子
義父の介護に追われる衿子のもとに義父の孫緋鞠が訪れる。夏休みの間ということで、緋鞠視点では青春小説となるがなんとなくズケズケものを言う若者というパターンそのものが苦手なのかまあ普通ぐらいの印象。
「主催者」絲山秋子
コンビニ博に行く導入からまさかの展開になるショートショート。実は初読なんだが、他も読まないとな。
第二十三回萩原朔太郎賞「雁の世」川田絢音
長く海外に住みながら日本語の詩作を続ける詩人。背景を知ることによってその重みの一端に触れる。こういう創作人生もあるのだなあ。選評で川口晴美『Tiger is here.』という詩集がアニメTiger&Bunnyを基にしていると知る。詩の世界にもそういうのがあるんだと驚かせれる。世の中には知らないことが多い。吉増剛造の文体も面白い。
アンドレイ・クルコフ×亀山郁夫のウクライナについての対談も(少し前だが)ウクライナの複雑な状況が伝わるものだった。
斎藤環の青山七恵「繭」評は以前livewireで見た宮内悠介との対談に出てきた「オープンダイアローグ」のことが扱われている。
『新潮』2015年12月号
「異郷の友人」上田岳弘
他人の記憶が入り込んでしまうという設定は面白い。が、実際のお笑いネタが入るのはどうも苦手なんだよな。特にこっちが知ってるとその部分が浮いているように感じてしまって。うまくはまると効果があるのかもしれないけど、ちょっと前の掲載だというズレもあるかなあ。
「岩場の上から」黒川創
近未来を舞台にした核燃料処理施設の話でこの時は新連載の冒頭部分のみ。もう既に刊行されているみたい。
「人違い」古井由吉
実は初めて読むがさすがに巧い。
「店」福永信
書くと死んでしまう病に侵された人物の独白。後半ちょっとのれない気がしたけどこちらの理解が追いついていないかもな。
「God Bless Baseball」岡田利規
日本・韓国の野球話を題材にした戯曲。たしかにWBCなどで日韓台の野球史の違いは野球ファンとして興味を覚えるようになったな。
「文字の声」華雪
王義之の書を題材にした書家によるエッセイ。なかなか良かった。
『海底二万里』ジュール・ヴェルヌ
新潮文庫版を電子書籍で。初読。意外にもバッドエンド風味でびっくり。能天気な中盤はなんだった(笑) ストーリーテリングは時代の違いを考えると凡庸と評価するのは酷だが、傑出しているとはとてもいえず科学描写に興味が持てないと多少退屈だろう。それにしても生物関係の名前の羅列は執拗で科学性にこだわったヴェルヌの立ち位置がよく現れている。その科学性へのこだわりは飛躍した想像力を優先させたウェルズに後代への影響力という意味でかえって劣る結果になった印象はぬぐえないものの、その分当時の科学知識や思考過程の貴重な記録となっている。フィクションだからこその大胆で自由な発想の記述が残っているわけで、学術論文や記事から抜け落ちるものが入っているのではないだろうか。現在詳細な科学解説つきのヴェルヌコレクションが刊行されているのも時代が回ってその功績が見直されているためだろう。
『人間の条件』ハンナ・アーレント
読了するのに随分かかってしまった(苦笑)。こういった政治哲学本を読みつけていないので、結局あまり理解できなかったのだが、労働についての根源的な問いかけはかなり重いものなのではないかという印象を持った。
『SFマガジン』2012年2月号 日本作家特集
「ヨハネスブルグの天使たち」宮内悠介
既読
「小さな僕の革命」十文字青
ネットものは時間が経つとキビシイ感じだな・・・。まあラノベテイストが好みではないせいもあるのだが(ばらしてしまった(笑)。
「不思議の日のルーシー」片理誠
手堅い青春SFといったところ。
「真夜中のバベル」倉数茂
これも青春SFといえるが言語アイディアがちょっと面白かった。日本SFの大きな流れの一つでもあるよね。例えば川又千秋、牧野誠、伊藤計劃。
「ウェイプスフィールド」瀬尾つかさ
研究者と少女のコンビが巨大海藻の謎を追うハードSF(後編まで読んだ)。これはオーソドックスだけど今回読んだ4編の中では一番楽しめた。他の作品も読んでみようかな。
『怪奇小説傑作集2』
『怪奇小説傑作集2』英米編Ⅱ
kazuouさんの怪奇幻想読書俱楽部に参加しているので、まずは『怪奇小説傑作集』は読まないと。というわけでようやく2。(でも3は読んでるんで1~3まで終わったんですよ!<誰へのアピールか(笑)
2巻は1巻の19世紀末から半世紀、20世紀前半の作品が収録。
「ポドロ島」L・P・ハートリー よせばいいのにいわくつきの島に向かう一行。この人の作品はニューロティックでいいよなあ。同名の短編集も積んでいるから読まないと。
「みどりの想い」ジョン・コリア 有名な作品で何度目かになるが妙なユーモアが癖になる。
「帰ってきたソフィ・メイスン」E・M・デラフィールド これはコメディにしか読めないんだが。
「船を見ぬ島」L・E・スミス 話そのものはよくありそうな孤島ものだが、なかなか雰囲気がある。
「泣きさけぶどくろ」F・M・クロフォード これも珍しい筋ではない気がするが、独白の語り口と終盤の映像的なインパクトがよい。
「スレドニ・ヴァシュタール」サキ サキも積んで長いんだが、早熟な少年と抑圧する保護者という図式が効果的。
「人狼」フレデリック・マリヤット 話はタイトルで丸わかりなんだけど家族ものでもあるので現実にあるさまざまな出来事を想起させて何とも身の毛もよだつ話になっている。厭ホラー。
「テーブルを前にした死骸」S・H・アダムズ 切れ味の良い掌編。ただオチのネタそのものはどこかで聞いたことがあるような気もしないでもない(むしろこっちが元ネタなのかもしれないが)。
「恋いがたき」ベン・ヘクト これまたサイコ的な風味のある腹話術ものだが割としんみりしている。ジョン・キア・クロス「義眼」も腹話術ものだったが、あっちは不気味さが強かったな。
「住宅問題」ヘンリー・カットナー 部屋を間借りしている人物が大事にしている覆いのかぶった鳥籠。SF作家としてよく知られる著者だけにアイディアストーリー的なカラーが強い。個人的には非常に面白かった。
「卵形の水晶球」H・G・ウェルズ これも名作で何度目かになるが、怪奇小説集の中にあると謎に理論的に挑む要素が目立つね。
「チェリアピン」サックス・ローマー フーマンチューのことはよく知らないのだが、怪しげな人物を描く欲求が強いのかな。
「こびとの呪い」E・L・ホワイト 未知の第三世界への怖れといった視点が感じられる今となっては時代を感じさせる内容だが終盤の映像的な不気味さはいいね。
古典的な怪奇小説から、人間心理の怖ろしさに視点を置いたものや科学的解明にアプローチしたものやユーモアに寄せたものなど多様性が出てきたのが時代の変化なのかなという気がした。
The Specials@新木場STUDIO COAST
The Specialsもさほど詳しくない。なにせスカで好きなのはFishboneというぐらい。個人的に中学高校の頃ハマった人種混淆音楽ってPrinceなどハードロック的な要素を持ったもので、2トーンってちょっと年上の人達の世界だったんだよなあ。我々が好きだったのはもっとギラギラゴテゴテの派手派手しいもっと悪趣味な感じ(笑)。
でも急に興味が出たのよ最近になって。Jerry DammersがSun Raリスペクトに人だと今更気づいて。しかしそそっかっしい中の人はThe Specialsといっても、Jerry Dammersは早くから袂を分かっていてそうそう簡単に一緒に来日なんかしないことを知ったのも後の祭り(笑)。まあでも観に行きました。
予想より遥かに良かったですよ。いわゆるオリジナルアルバムが少ないおかげで知ってる曲が多かったし。Jerry Dammersの奇妙な味とは別のストレートなロックっぽさが長年培われたライヴバンドとしての強みになっているんだなあということが分かった。やっぱり息の長いバンドは相応の力を持っているよね。
特にLynval Goldingが「Black Lives Matterを知っているかい?」と日本の若いリスナーにも分かるようにゆっくり語りかけ、Bob MarleyのRat RaceやRedemption Song、Why?を演奏したのには、彼らの結成からこんなに時間が経っても時代が良くなっていないことに複雑な気持ちになりつつも、変わらず訴えかけていくその姿勢にはぐっとくるものがあった。
当日のSet List↓
The Specials Concert Setlist at Shinkiba Studio Coast, Tokyo on March 24, 2017 | setlist.fm
やっぱりライヴはいいよね。
The Residents公演@ブルーノート東京
時々CDを買ったり、レコードコレクターズの特集号を買ってみたり。そういえばCD-ROMの“Gingerbread Man”を買ってみたこともあったっけ。ザ・レジデンツ
とにもかくにも正体不明のグループである。どうやら活動開始は1968年に遡り(「明快で曖昧、奇怪で愉快な
Residents-Eskimo (1979) Pt.1 HD
比較的見えてきやすい切り口としては<文明批評><諷刺>である(たとえば第三帝国のロックンロールをテーマにした2ndアルバム『ザ・サード・ライヒンロール』はロック産業を皮肉っている)。しかし『エスキモー』をディスコ化した『ディスコモー』に至ってはどう思えばいいのか。
The Residents - Diskomo
さらに2000年にはダメ押しのように『ディスコモー2000』まで出てしまい頭を抱えざるを得ない。
しかし元より変なもの妙なものが気になって仕方のないブログ主である。長年の謎を解くきっかけらしきものがやってきた。そのザ・レジデンツが日本公演を行うというのだ。これを見逃す手はない。
さて断片的な知識のない中(数枚のみしかアルバムを持っておらずまともに聴いたのは『エスキモー』ぐらい)、とにかく何かしらとっかかりでもつかめればと会場に向かったのだが、やはりライヴというのはありがたいものでこれがなかなか面白かったのだ。
どちらかというと稚気にあふれた表現集団といった印象で、いわゆる芸術運動の歴史的な経緯からとらえようとしても抜け落ちる部分が多いのではないかと思う。個人的には怪奇趣味がルーツとして重要な位置を占めるのではないかと思う。死や幻想など日常を超える世界のイメージが繰り返し提示される。しかしそれは必ずしも哲学的なものではない。『フリーク・ショー』というアルバムもあるようにそのセンスに源に見世物小屋がるように思えてならない。子供の体験する異世界への入り口、恐怖そういったものが作品世界の根底にあるのではないだろうか。アメリカンゴシックの系譜でとらえてもいいのかもしれない。
最近はありがたいもので(どれくらい正確かは分からないが)もうセットリストが確認できる。Hank Williamsのカヴァーというのにも一つのルーツなのかな。これを参照にいろいろアルバムを買っていこうかなあ。
The Residents Concert Setlist at Blue Note Tokyo, Tokyo on March 21, 2017 | setlist.fm
ちなみにヴォーカルとキイボード(特に後者のお腹が随分出ていて、衣装とあいまってなんともいい感じのキャラクター感になってたのが可笑しかった。
The Residents - Man's World (James Brown cover)
この頃の目玉集団は随分スリムで同じ人たちが太ってしまったのかもしれないが年月の重みなのだろうか(笑)。