異色もん。

ドラえもん、もやしもん、くまもんに続く第四のもん。いつか鎌倉の老人になる日まで。(単なる読書系ブログです)

『マンボ・ジャンボ』イシュメル・リード

{マンボ・ジャンボ (文学の冒険シリーズ)}

 P-Funk mythology(当ブログの関連記事1関連記事2)の原点ともいわれる作品で、個人的にはもっと早くに読むべきだった本。遅れてしまったが読了。
 ダンスが止まらないという奇妙な感染症ジェス・グルーをめぐり監視・抑圧を強めていこうとする白人勢力と対抗する黒人(とその仲間の)勢力の戦いが描かれる。
 踊らない汗をかかないサーノウズ=太陽神(アトン)信仰で弾圧側のヒンクル・フォン・ファンプトン
 Funkを広めようとするスターチャイルド=ヴードゥーによる黒人解放を(たぶん)目指しているパパ・ラバス
といった対立の図式がP-Funk mythologyと重なる。
 一方P-Funkと比べると本作は宇宙・SFがらみのエピソードは控えめでむしろ古代エジプトや歴史がからんでのオカルト偽史ミステリといった趣き(もちろん古代エジプトParliamentのTrombipulationではメインアイディアになっているのでやはり共通点はある)。またはっきりと白人vs黒人の対立図式となっているのもP-Funkとの違いでこの辺りはメディアや表現形式の違いもあるのだろう。興味深いのは本作が1972年の作でいわゆる公民権運動の大きな犠牲を生々しく記憶にとどめながらその50年前の1920年代を舞台にしているところである。そのため、1915年の出来事である、より直接的な黒人差別の問題あるいは黒人初の独立国家ハイチへのアメリカ介入が織り込まれている。これは公民権運動後も根強い問題が残り続けることを作者が認識していたことを示し、残念ながらアメリカをはじめ現在の世界を見るとその懸念は当を得ていたといわざるを得ない。
 なにはともあれ、強烈なリズムを叩き出し過去も現在も史実も妄想も渾然一体に描き出す文体はエネルギッシュで力強く時代を超越している。ポップブラックカルチャーそのものを肉感的に伝えてくれるマイルストーンといえると思う。

BEST SF2016投票

森下一仁さんのSFガイド恒例BEST SF2016に今年も投票。

『エターナル・フレイム』グレッグ・イーガン 1点
 このシリーズは物理学の根本から世界を作り上げるアイディアと主人公たちのSFとしてはオーソドックスな擬人化という組み合わせをどうとらえるかだと思うが、個人的にはユニークなチャレンジとして評価をしたい。
『死の鳥』ハーラン・エリスン 1点
 エリスンのベスト選集だから当然面白いのだが、個人的には“Deathbird Stories"の全訳が出て欲しかったなあ。
『宇宙探偵マグナス・リドルフ』ジャック・ヴァンス 1点
 事件を解決するのが爺様探偵というのからしてセンスが秀逸。ヴァンスはやっぱり楽しい。
『ロデリック』ジョン・スラデック 1点
 個性的な登場人物のすれ違いによるSFコメディ。妙な凝り性ぶりが細部に見られるのも可笑しい。
『ゴッド・ガン』バリントン・J・ベイリー 1点
 意外に多彩な作品を残していたことが分かる好短編集だった。ベイリー入門編に最適。

ケイト・ウィルヘルムの『翼のジェニー』入れるの忘れてたな・・・。それにしても古いのが多くなってしまったので今年はなんとかしたいな・・・。

2017年1月に読んだ本

『ストップ・プレス』マイクル・イネス 殊能将之氏のホームページでの秀逸な紹介から13年余り、翻訳刊行されてから11年余り、ふと思い立って読み始めたらミステリ慣れしていない当ブログ主にも(年末年始の休みを使うことによって)意外にすんなり読めた。癖の強い人物たちによるひねくれたエピソードやちりばめられたペダントリーに英国らしい味わいがある。そもそもなかかな殺人が起こらないとか(笑)。

『てなもんやSUN RA伝』湯浅学 前記したlivewireの吉田隆一VS丸屋九兵衛イベントの下準備に読了。実はイベントではあまりSun Raの話は出なかったのだが(笑)。ネットなどで曲を聴きしながら読んだ。作品が膨大でジャズに明るくないのでどこから手をつけていいか迷っていたが、本書で手がかりを得られた気がする。大変強い信念の持ち主で困窮していても迷わず突き進む真摯な姿が印象的で大変面白かった。晩年救急病院で問診に手こずる救急医に専門医が「この人は土星人だよ」と教える下りが最高。ついでにSun Raの映画「Space is the Place」入手困難のようだが、youtubeにあったので本書を参照しながら観てみた(ちなみにアップされているのはSun Raが削除を要求したと思われるシーンの残るバージョンっぽく、本書に書かれているがそちらが発売されたこともあるそうだ)

www.youtube.com

フィクション仕立てでブラックスプロイテーションと彼の宇宙的センスが融合した興味深いものだった。当然P-funkに近いが、1972年頃だとするとParliamentの宇宙路線より早いことになる(George Clintonは観たのだろうか)。

デヴィッド・ボウイ: 変幻するカルト・スター』野中モモ 熱心に聴いてきたわけではないボウイだが(アルバムの一部は発表された時代より後になったものの愛聴してきたし世代的にもある程度流れは把握しているので)、ポピュラー音楽の分析が近年は大分進んできているなあと感じた。翻訳家でもある著書のため歌詞などでの言葉遊びや引用についての言及も説得力があるし、他にもいろいろ発見があって面白かった。デヴィッド・ボウイはポピュラーミュージックのアーティストというより、ポピュラーミュージック(ロック)を使ってポップ・アートを表現したポップ・アーティストだったんだなあと思う。これからもいろんな角度から見直すことことができる人だろう。

SFマガジン 2016年4月号』 デヴィッド・ボウイ追悼特集号。随分遅れてしまったがこれも上記イベントのために読んだ。読み切りのみ感想を。
overdrive円城塔 思考のスピードが加速したらという着想。やっぱりこの人は凄いね。
「烏蘇里羆(ウスリーひぐま)」ケン・リュウ 満州を舞台にしたスチームパンクといったところか。日本作家が書くべきだが書ききれないところを書ききって傑作にしているように思える。作品の質がいつも高くて驚かされる。
「電波の武者」牧野修 久々に読むが、言語実験的なところがこういった方向性にいってるのか。「月世界小説」も読まないとなあ。
「熱帯夜」パオロ・バチガルピ 「神の水」スピンオフということでいかんせん短い。
「スティクニー備蓄基地」谷甲州 一篇では完結してなかった。<新・航空宇宙軍史>の短篇をSFマガジンで時々読むがクールな筆致がなかなかいいよね。
「七色覚」グレッグ・イーガン 視覚機能を拡充するインプラントが人間をいかに変えるかという実にイーガンらしい作品。もちろん面白いのだが、必ずしもスケールのデカい話になるわけではなく人生への諦念みたいなものがみられるところにイーガンの変化が感じられる(悪くない)。
「二本の足で」倉田タカシ NOVA2の「夕陽にゆうくりなき声満ちて風」しか読んだことがなかったので、思ったよりも普通の話で少々意外。アイディアもやや平凡に感じられたが移民をテーマにしておりアクタヴィア・バトラーやジャック・ウォマックが好きということのようて http://www.sf-fantasy.com/magazine/interview/150901.shtml なかなか気になるセンスの持ち主なのでまたほかの作品も読んでみるか。
デヴィッド・ボウイ追悼特集。現在少し時間をおいて読んでみると少々駆け足気味な内容だが、SFマガジンがミュージシャンが表紙にするのは初めてらしく、今後こういったメディアミックス的な方向にいく分岐点となるものではないかと思われ非常にエポックメイキングな号といえそうだ。こうした方向性について個人的には良いも悪いもなく自然な事だろうと思っている。
「やせっぽちの真白き公爵(シン・ホワイト・デューク)の帰還」ニール・ゲイマン 基本的には小品だが、2004年の本作品もボウイの死後には、<帰還>の場面の永遠性が感慨深く感じられる。端々にボウイへの敬意を感じられるところもいい。

『スペース金融道』宮内悠介 次々にいろんな作品を送り込んでその動向に目が離せない著者だが、本作はどんな相手からでも容赦なく借金を取り立てる二人組が主人公のユーモア連作SF。が、むしろアンドロイドの出現で変貌した未来社会が主要なテーマで、現代化されたロボット三原則といった感じのアイディアも含まれており、また著者の新たな面を見ることができる。

フレドリック・ブラウン傑作集』(サンリオSF文庫) 「闘技場」「星ねずみ」といった名作は今でも面白いが、時代の変化によって印刷技術の部分が分かりにくくなっている「エタオインさわぎ」やブラウンの文明に対する考えや「不死鳥への手紙」などにかえって作者のの手触りが感じられたりする。訳者の星新一が翻訳を始めたころの話で創作を加えていた話をあっけらかんと明かしているところにも時代を感じさせる。

『宇宙飛行士オモン・ラー』ペレーヴィン 再読。戯画化されたプロジェクトXみたいなノリでバカバカしい理由で面白くも悲しく登場人物たちが英雄的な犠牲を払う下りがやっぱり読みどころだと思った。

『ゴッド・ガン』バリントン・J・ベイリー

1984年』ジョージ・オーウェル(ハヤカワepi文庫)
すばらしい新世界オルダス・ハクスリー(古典新訳文庫)
 恥ずかしながらいずれも初読だがディストピアSFの古典を読んでみた。しかしこの二つ随分毛色が異なるし目指したものにも差があるように思われる。『1984年』は抑圧された社会と個人の関係が描かれ共産主義下のシリアスな文学と共通するところがある。また社会を管理する側が言語の幅を狭めることによって人間の思想をコントロールしようとする恐ろしさや逆に個人が自ら記述を行う重要性が描かれ言語学的なテーマに重きが置かれている。一方『すばらしい新世界』の方は技術の進歩によって社会や人間がどう変化するかといったところに主眼が置かれている印象がある。両作品とも古典文学の引用なども多く多重に意味の重ねられた歯応えのある作品だが、『素晴らしい新世界』の方は強いていえばSFによる思考実験と伝統的な文学趣味を融合を試みたトマス・M・ディッシュに相通じるものがあるように思われた。

『ゴッド・ガン』 バリントン・J・ベイリー

ゴッド・ガン (ハヤカワ文庫 SF ヘ)

 久しぶりに感想を(苦笑)。
 ニューウェーヴ世代の作家ながら荒唐無稽なアイディアが作品のコアとなるあまりに独特の作風のためムーブメントから浮いてしまい、結局日本では1980年代に再発見される形で一部に熱狂的な支持を受け<SFマニアのアイドル>ともいわれるほどのブームを巻き起こしたバリントン・J・ベイリー(そうあくまでも一部、というのがこの人のポイント)。当ブログ主はそのブームの真っ只中にSFにハマり始めたので思い入れの強い作家である。とはいえ実は結構ペシミスティックな話が多かったり、短篇集『シティ5からの脱出』はマイベストSF短篇集の一つではあるものの、長篇では破綻が無視出来ない瑕になっている印象が強く、『カエアンの聖衣』や『時間衝突』もかなり面白かったが実は再読はまだでどこか判断を保留してしまっているところがある。
 というわけで(SFマガジンで既読の作品もいくつかあったため)さほど期待せず読み出したのだが、この短篇集期待以上によかった。
「ゴッド・ガン」 神に与えられた銃ではなく、神を撃つ銃という発想がさすがベイリー。多少出オチっぽいがそれもまたベイリー。
「大きな音」 宇宙に音は届かないはずでそれはわかっているよーといった箇所もある。ただ妙な形而上学的言説がいつもは読みどころになるのだがそこは割にサラリと流れて大らかなユーモアの漂うホラ話になっている。
「地底潜艦<インタースティス>」 レトロ趣味ともいえる地底冒険SF。アイディアも滅茶苦茶ならストーリーも行き当たりばったりというこれぞベイリーといいたくなる楽しさ。他にない持ち味という点ではこれが一番かなあ。
「空間の海に帆をかける船」 アイディアSFだが興味のある場所があれば危険を顧みずずんずん入っていくリムは著者自身と重なって仕方がない。
「死の船」 強引な(正直よくわからないがベイリーにはよくある(笑)時間理論と主人公の苦悩が重なるというこの辺の不思議な重さもしばしば垣間見られる特徴。
「災厄の船」 なんとファンタジーである。人類と異なる種族の関係とかムアコックの影響がはっきり見えるのがちょっと微笑ましい感じ。
「ロモー博士の島」 もちろんH・G・ウェルズのパロディなんだが性が題材になっているところがこの人としては多少意外。こんなのも書いていたんだなあ。
「ブレイン・レース」 瀕死の重傷を負った友人を救うべく手術名人のチドという種族のいる星系へ行ったが・・・。不気味なユーモアが凄いな。狙ったのか偶然かよくわからないヒドいオチも度々みられるねベイリー作品には。
「蟹は試してみなきゃいけない」 まさかの蟹SF(蟹だけど宇宙人なのでSF)。蟹が主人公の小説って他にあるんだろうか。やることしか頭にないボンクラ少年たちのちょっぴり切ない青春グラフィティ。賞に恵まれなかったベイリーが英国SF協会賞短編部門を取った作品。
「邪悪の種子」 不死身の体を持つ異星人の秘密に取りつかれた外科医によるピカレスク冒険SFで、これはなかなかしっかりと完成度の高いサスペンス小説。この「不死身」がゾウガメで、蟹だとか蜜蜂だとか既にいる生き物をそのまま異星人として持ってくるところがベイリーはあるね。動物好きなのかなあ。
 以上大変バラエティに富んだ一冊だった。思えばベイリーは英ニューウェーヴSF勢の一人で書くことに自覚的に取り組んでいただろうし、決して巧いとは言えない作家だがその試行錯誤の痕跡が本書には見られる。その分、架空理論の歪みとイメージの強烈さでカルトクラシック的なインパクトが前面に立つ『シティ5からの脱出』に比べ、本書は入門編に最適なのではないか。

DAVID BOWIE isデヴィッド・ボウイ大回顧展

吉田さん丸屋さんトークショーの翌日は(用事を済ませた後)予約していたボウイ展へ(ちなみにこの展覧会は入場時間帯による予約があります。ただ当日券もあるようです。入れ替え制ではないので長くいても問題なし)。吉田さん丸屋さんは昨年のSFマガジン4月号ボウイ追悼特集で寄稿されているお二人でもある。
 おそらく四半世紀は行っていない天王洲へ(モノレールで通った時、バブル期のゴールドやインクスティック芝浦の記憶が蘇って・・・)。
 一人一人にヘッドホンを手渡すので多少寒い中待って入場(トイレは1階にあるが入場してからはないので済ませておくと吉。また入場口のところに有料ロッカーはあるが、ロッカーを使う間に順番は後の方になるので可能ならばどこか手前の段階で身軽になる方がいいかもしれない)。
 さすがに1947年生まれのミュージシャンでしかも若い頃から注目を集めていた人物だけに膨大かつ興味深い資料が沢山残されている。全体として強く印象付けられたのはミュージシャンという枠を遥かに超えた1960代以降のポピュラー文化そのものを体現した人なのだなあということ。ロックやポピュラー音楽だけでなくリンゼイ・ケンプから表現を学びSFや異文化からヒントを受けミュージシャンとしての表現力を高めることになったのだが、他にも例えば影響を受けた人物にマクルーハンの名が挙げられるなど幅広く自覚的にアンテナを張り巡らせていた実に探求心のある知性的な人であることがわかる(自由な考え方の世界にいた人ではあるがいわゆるエリート階層ではなかったのもなかなか凄い)。エレファントマンの舞台も映画より早かったしクラウス・ノミを見出したのもボウイだったのか(ノミとのパフォーマンスを収めたいかにも当時のポップアート系のいわゆる<パフォーマンス>っぽい感じもよかった)。ヘッドホンから流れるボウイの音楽と展示物のシンクロも心地よく何時間でもいられそうだ。さすがにボウイだけあって見せ方が大変洗練されている。
 様々な色の奇抜だったりスタイリッシュだったりする斬新な衣装を見て気づいたのは最後まで体型が変わっていないことだ。それこそマネキンのような人造美を保ち次々に人格を入れ替えていった彼の足跡が伝わってきた。
 ややネタばれになるが、最後にボウイからHappy Birthdayのメッセージがある。「365日流し続けると必ず皆に当てはまるね」みたいなジョークが入っていて「デイヴおじさんからのメッセージが嬉しいと思ってくれるといいな」と。当日ではないがそろそろ誕生日が来て(ン十歳)の大台に乗るブログ主はなんだか無性に嬉しかった。ありがとう!