異色もん。

ドラえもん、もやしもん、くまもんに続く第四のもん。いつか鎌倉の老人になる日まで。(単なる読書系ブログです)

<シミルボン>再投稿 『翡翠都市』フォンダ・リー

~特別な力を持つ”翡翠″をめぐり、血で血を洗う抗争が繰り広げられる傑作任侠小説~

 
 それを持つ者に特別な力を与える”翡翠”。そんな”翡翠”によって、人々ひいては国々までもが翻弄される・・・本作が描いているのはどことなく現代の我々の社会と相通ずるところの感じられる架空の世界だ。
 舞台は”翡翠”を産出し、重要な産業となっている島、ケコン(ちなみに開設には香港の様、とあるが地図の形はむしろ台湾を思わせる)。”翡翠”を取り仕切っているのは、国や政治家ではない。”翡翠”を扱うべく、幼い頃からトレーニングを受けたグリーンボーンたちであり、そのファミリーである。その二大勢力が<無峰会>のコール家、<山岳会>のアイト家で、飲食店やクラブを傘下にしている。かつては同じ組織であったが、分裂し、対立し縄張りを争う状況なのだ。拮抗していた両家だが、強い上昇志向と冷徹な知略によりアイト家のリーダー<柱>に昇りつめたアイト・マダーンの登場で、コール家の長男で思慮深い若き<柱>コール・ランシンワン(ラン)は次第に追い詰められていた。
 そう、”翡翠”を取り仕切っているのはアンダーグラウンドな方々、いわゆるマフィアの皆さんなのだ!
 もちろん視点は劣勢のコール家。ランの弟で短気だが戦闘能力の高いヒロ。父を早く失ったため、開祖であるも老いてしまった祖父センの影響を脱却しなくてはいけない悩み多きラン。抗争の日々に疲れ袖を分かつも運命に導かれ戻ってきた二人の妹シェイ。そして養子ながら兄弟同様に育てられているそれぞれの運命が描かれていく。縄張りの支援者(<灯籠持ち>といわれる)とコール家は古い厚情により結ばれている。
 いやいや、こうなってくるとマフィアどころか懐かしの任侠映画の趣きではないか!
 またベースにファンタジーの設定が置かれながらも、”翡翠”を扱える人間が限られている一方で、全く反応しない免疫を有するストーンアイというタイプの人間がいたり、”翡翠”の副作用を和らげるためのドラッグ(ただ依存性のある)SN1(通称シャイン)があったり、われわれの今の世界と地続きな設定が随所にでてくるのがなんとも楽しい。
 特にうけたのは、グリーンボーンには養成学校があって、<柱>から卒業を祝福されたりする下り。つまりこの世界では極道を学校で養成しているのだ!
 さてコール家の運命だが、中盤にちょっと驚かされる思わぬ展開があったり、印象的な脇役が配置されていたり、大部だが終盤の怒涛の展開までメリハリが効いて、全くだれることがない。
 そして終わり間際に後をひきそうな流れで薄々予感していたが、続編があるという。鶴首して待ちたい。(2019年11月23日)

<シミルボン>再投稿 『文字渦』円城 塔

~見たこともない難読漢字や異体字にあふれた誰にも真似のできない奇想小説~

 デビューから類まれな発想と論理で独自の世界を築き上げたてきた円城塔が漢字を中心とした文字による言語表現の可能性に徹底して挑んだ実験的作品。
 たとえば作品で登場する漢字は通常読むものが認識するテキストであったり、実際に印刷される活字であったり、はたまた生き物のようであったりする。そうした<文字>の持つ性質が混然一体となり、古代から未来までのなんとも奇妙な歴史が綴られる。見たこともないような画数の多い難読漢字や異体字が山ほど出てくるなど独特なタイポグラフィックの本書は一読では全貌が掴みがたいところはあるが、ユーモアのあるアイディアで処理されており、ディテールなどに可笑しさがあって楽しく読み進むことができる。
 表題作での文字の生物群、「緑字」のテキストで形成された島、「誤字」もよる誤字の自走、「金字」の文字による転生(アミダ・ドライブ!)などなど誰にも真似のできない作者らしい発想が神話・宗教・言語(ヘブライ語サンスクリット語、かななど)・歴史・数学いろんな要素をはらみながら縦横無尽にもっともらしく語られるが、「真顔で語られる冗談話」の趣向が本書の大きな魅力だ(なにしろ文字が地球を飛び出していく話まであるのだ)。なかでも<殺字事件>の扱われる前代未聞のミステリ「幻字」には腹を抱えた。
 新しい表現の世界を切り開いていることで既に高い評価を得ている著者であるが、そのポテンシャルは本書でも遺憾なく発揮されており、動向は今後も注目であることは間違いない。(2018年9月9日)

ふと思い立ってデヴィッド・ボウイの初期作品をまとめて聴いてみた

 デヴィッド・ボウイのキャリアは長く作品も多いので、その魅力に気づくの遅れてしまったリスナーとしては、まだまだ全貌が追えていないアーティストの一人である。 
 以前ブログでは大回顧展のことを書いたり

funkenstein.hatenablog.com
 野中モモデヴィッド・ボウイ ──変幻するカルト・スター』の感想を書いたり
funkenstein.hatenablog.com
 いずれも2017年くらいのこと。もちろんもう少し前からボウイの興味は持っていたものの、「これは腰を入れて聴かないといけないなあ」と思ったのは(下手をすると)2000年代になってからかその少し前くらいかもしれない。最初にこれは!と思ったのは世評高い『Low』『Heroes』の凄さに(随分遅れて)気づいてから。

 で、その辺りの作品は愛聴していたが、長いこと初期作品はあまり聴きこんでこなかった。
 最大の理由は「いわれるほどSFっぽくないな」という印象がぬぐえなかったからである。
 既にテクノポップニューウェーヴが始まった頃にロックを聴き始めたので、ボウイの初期作品の高い評価を知りつつ、当時のSFフリーク中学生には「<宇宙もの>なのに音はアコースティックでメロウ。歌詞もなんだか寂しくて暗くてピンとこない」という感じだったのだ。
 今思うと「SFファンであることが邪魔をした」ということなんじゃないかと思う。
 とはいえそうしたすれ違いは長く続いてしまうもので、ボウイ関連でいけば2000年代に再刊された『地球に落ちてきた男』もいい作品だとは思ったが、全体に陰鬱な話と思ってしまっていた。

 ということで、ようやくこちらも年を取って、聴き直してみたくなった。
David Bowie

David Bowie

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 ファースト。1967年で、サイケデリック・ポップなアルバムといったところか。のちに『Pinups』で"See Emily Play"をカヴァーするが、シド・バレット在籍時の初期ピンク・フロイドも連想させる。
 夢に満ちた宇宙開発の果てに月面着陸が映し出した世界は何とも荒涼な風景でしかなかったことを指摘したのは誰だったか。そんなことを思い起こさせる”Space Oddity"のダウナーな魅力はニューウェーヴSF以降の視点を見事に表現している。感性の鈍い中坊(当犬)にはオトナ過ぎたのである(小説ではニューウェーヴは読んでいたんだけどなあ)。全体にはサイケデリックな風味のフォーク・ロック。
 
 『Spade Oddity』同様トニー・ヴィスコンティがプロデュースしているのだが、こちらの方がロック色が強く、要はT-レックスっぽい。"Black Country Rock"なんてヴォーカルがマーク・ボランかと間違うくらい。面白いのは1曲目の”The Width of a Circle"でハリール・ジブラーンという詩人がいるのを不勉強ながら初めて知った(オスマン帝国出身のキリスト教徒で「20世紀のウィリアム・ブレイク」とも称され、ロック関連のミュージシャンの支持も厚かった様子)。
 今回一番良いと感じたのがこのアルバム。楽曲のクォリティが高く、ボウイのメロディー・メイカーとしての才覚が存分に発揮されている。"Changes"Oh! YOu Pretty Thing""Life On Mars?"と名曲が並ぶ。歌唱までそのままの"Songs For Bob Dylan"や"Andy Warhol"など愛する対象へのストレートなリスペクトも微笑ましかったり。
 さすがにこの作品はこれまでもよく聴いていた。地球にやってきた宇宙人の成功と挫折という流れを通しで聴くと、主演映画「地球に落ちて来た男」と同じ様に、孤独なアーティストの内面というのが根底にあるということがあらためて感じられる。当初、(頑ななSFファンの悪癖として)アイディアや人類を俯瞰するようなハードなSFばかりに目がいっていた当ブログ犬にはあまりはまらなかった。しかし、コンセプトや歌詞とは距離を感じつつも、結局耳に馴染み易いメロディアスな楽曲群に次第にアルバムの良さに気づかされていく。今では、宇宙趣味の波及という先駆的な役割を含め、ロック史上でも重要なアルバムだと思うようになった。
 こちらは「ジギー・スターダスト、アメリカへ行く」といったコンセプトのアルバムだったらしい。ドゥーワップを取り入れたり、ボ・ディドリーっぽいリズムがあったり、ローリング・ストーンズのカヴァーがあったりとブラック・ミュージックへの強い関心がうかがわれる。次々とチャレンジを続けるボウイの創作意欲に脱帽である。
 ジギー・スターダストのキャラクターから離れたいという意図からの全曲カヴァー集らしい。ザ・ヤードバーズザ・フーが2曲もあったり気分でつくっている感じがあるが、"Anyway, Anyhow, Anywhere”が(カヴァーにしてもあまりに)あまりにザ・フーそのまんま
で、意外なボウイの器用さに驚かされたり。楽曲の多彩さもそうだが、ボウイって割となんでもできる人なんだよな。

ダイアモンドの犬

ダイアモンドの犬

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 コンセプト的なものに疲れてカヴァーアルバムを出したのかも思いきや、またすぐコンセプトアルバムにもどる。タイトルは『動物農場』あたり?"1984"”Big Brother"という曲もあり、オーウェルオマージュなのか。音楽的には引き続きストーンズ色強めか。"Rebel Rebel"のような強力チューンがほぼどのアルバムにもあるのはさすが。"1984"はアイザック・ヘイズそのままのワウワウファンクで、幅広いジャンルをカヴァーする作曲能力もまた尋常ではない。
 さて創作意欲旺盛なのはいいが、今度はストレート過ぎるほどのブラック・ミュージックアプローチが行われたアルバム。その方向性には疑問が投げかけられたようだが、このアプローチは『Let's Dance』の大成功へ導く。そして"Fame"はジョージ・クリントンに”Give Up the Funk"作曲への啓示を与え、(その宇宙趣味と共に)実はアフロフューチャリズムの隆盛にも寄与したことは無視できない(『ファンクはつらいよ』174ページ参照)。
ステイション・トゥ・ステイション

ステイション・トゥ・ステイション

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 そして、ブラック・ミュージックへのアプローチを進化させまた次作『Low』へと続くアヴァンギャルド性との融合を高い完成度で結実させた本作もまたボウイ史を飾る傑作であろう。ハイライトはボウイのさまざまな顔を見せつつ、長尺を全く飽きさせることのないタイトル作だが、ニューオリンズファンクにまで射程に入れた”TVC15”もまたボウイらしい雑食ぶりである。
 繰り返しになるがボウイの幅広いジャンルに及ぶ作曲能力の高さには驚かされる。その貪欲ぶりは短期間での目まぐるしい変身にもつながり、(特に初期には)「何がやりたいのかわからない」と思われていた節もある。その作曲能力の高さを思うと、別の世界線のボウイを想像してしまう。それは「もしもボウイが何らかの理由で自らがフロントに出るのを嫌がっていたら」という妄想である。あれだけのルックスとファッションセンスでフロントに出ないボウイというのはもちろん想像しづらいのだが、それでもこんな話を考えてしまう。「なんらかのきっかけで長年フロントに出ることを嫌っていた知る人ぞ知るイケメントラックメイカーのボウイ。神格化され、周囲の熱意に押されてキャリアの晩年にたった一度のリーダーズアルバムを出す。豪華なゲストもあってロック史上空前の大ヒットとなる」。しかしそれは稀代のパフォーマーであるボウイのいない世界線であり、それはあまりに味気ない世界でもある。なのでこの発想は、雑誌のボウイ特集号の箸休めSF短編ぐらいにしかならない話なのだった(苦笑)。



 

<シミルボン>再投稿 『 天界の眼 切れ者キューゲルの冒険』 ジャック・ヴァンス

~サイテー男が次々とやってくる難題をテキトーに乗り切る抱腹絶倒の冒険ファンタジー

 鋭い批評眼でSFファン・ミステリファンを唸らせていた殊能将之氏もブログで絶賛したシリーズが、この<切れ者キューゲル>である。
 しかし本書の解説で訳者が「無責任男のスチャラカ珍道中もの」と評しているように、<切れ者>とは名ばかりでどちらかというとなぜか災厄を引き寄せてしまう男が達者な口上だけで周りに少なからぬ迷惑をかけながら苦難をすり抜ける様子がなんとも可笑しいというコメディなのだ。この辺についても殊能氏は上記の読書日記で同じヴァンスの<魔王子>シリーズについて「(前略)主人公の復讐譚のはずなのに、復讐相手の<魔王子>がバカばっかりで可愛くすら見えてしまう(後略)」と指摘し「(前略)ヴァンスのプロットはやはりゆるいと思う。」と結論づけているように独特の“ゆるさ”“オフビート感”が味になっている。そんな要素が完全にユーモアものである本書ではうまく回って本当に読んで楽しい作品になっているのだ(これも殊能氏ご指摘済みなのだが)。
 さてさて内容にいってみよう。
 「天界」のっけから(そそのかされたとはいえ)他人様のものを盗もうとして見つかり、罰としてこれまた特別な力を持つ兜の盗みを働くはめになるキューゲルなのだった。この手口のいい加減ぶりが笑える。次の「シル」では亡霊やら貝人間やら食屍鬼やらにぎやかに登場して いつのまにか高貴な美女と逃避行。さらに「マグナッツの山々」でもまたまたなんだかんだと危機を乗り切り(またまた周囲に迷惑かけて)ある村の見張り番におさまる。これで話おしまいかよ!とツッコミたくなるオチも楽しく、迷惑かけっぷりは集中No.1か。「魔術師ファレズム」では魔術師の彫刻を手伝うことになるが扱いのひどさに不貞腐れたことから騒動が起こるのだが、その騒動のきっかけのくだらなさはもう最高で、個人的にはそこが本書のハイライトといっても過言ではない。続いての「巡礼たち」、柄にもなくこのサイテー男がもっともらしく巡礼に加わる。信心の違いなど一筋縄ではいかない人間関係でもキューゲルはへっちゃらで、やっぱり口先で世の中を渡ってしまう。「森のなかの洞穴」ではネズミ人間の奴隷にされてしまうキューゲル。奴隷たちが反乱をしないよう仕組まれた制度のなかなんとか隙を見いだす。それにしても出し抜かれてばかりの周囲の人々もちょっと警戒心緩すぎて問題大ありかもしれんぞ!(笑)ラストの「イウカウヌの館」でそもそもこの旅の原因となった張本人魔術師イウカウヌと対決することになる。もちろんその解決法がまたなんとも笑えるしオチもピタリとはまる。
 とにかく全編に渡るテキトー精神には呆れると共になんとも楽しくさせることがあるのは認めざるを得ない。このキューゲルどことなく飄々とした愛敬があるからである(いやまあヒドいやつなんだけどね(笑)。それからいつもの異質な文化にカラフルな風景を切り取る描写もちゃんとあるので、普通の(?)ヴァンスファンも安心してよし。
 ただ読了して一番気になったのは実はこのシリーズには続きがあること。いやーなんとか続きは出ないものか(さらにはヴァンスファンであるマイクル・シェイがヴァンスの許可を得て創作したキューゲルものもあるらしい!)
 なにはともあれ、口先三寸でテキトーに宇宙を渡り周囲に大騒動ばかりまき散らす(あくまでも)自称“切れ者“キューゲルのなんとも楽しい冒険譚だ。あなたも御一緒にどうです?(エラい目に会うかもしれませんけどね(笑)(2018年7月15日)

2024年2月の丸屋九兵衛さんイベント

 恒例の旧暦フェス【旧正月アジア祭2024:イヤー・オブ・ザ・ドラゴン!】
① 02/03(土)【Q-B-CONTINUED vol.87】亞洲ドラゴン研究會! 中華モンスターマニュアル龍年エディション
② 02/10(土)【ASIAN MUSIC REVIEW 2024】旧正月音楽祭! アジア系R&Bとヒップホップの夜
③ 02/11(日)【Q-B-CONTINUED vol.88】世界のアジアタウン! 中華街、Kタウン、リトルトーキョー
④ 02/17(土)【Q-B-CONTINUED vol.89】世界史スーパースター列伝! 中華編その3
⑤ 02/23(金・祝)【Q-B-CONTINUED vol.90】アジア(系)映画&ドラマの歩みと今:GenerAsian Now
⑥ 02/25(日)アニヴァーサリー企画! 奇書『いんちきおもちゃ大図鑑』の15年 feat. いんちき番長
 バタバタしているので残念ながら今回は備忘録のみで。どれも楽しんだんだけど。
 それにしてもいんちき番長の話はすごかったなあ。いんちき番長がすっかりお馴染みなって、商品が開発されるくだりがハイライトかな(笑)